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2004年4月のコラム

近世村社会の保安と組合村(むら)

田中 義孝

 「御免 之外諸勧化諸浪人船□□□等之儀一切出し申間敷候事」「若組合之内へ狼藉もの等罷越手余り候節は貝鐘太鼓をならし候ハバ早々組合村ヨリ搦捕差出可申候事」(武蔵国久良岐郡横浜村等組合八ヶ村議定・前田正治編著『日本近世村法の研究 附録村法集』169頁、170-171頁)

 これは、前田氏により「推定年代文政十年以降」とされている(同前 169頁)、いわゆる「改革組合村」の小組合(大組合は77ヵ村で構成されている ― 上掲書167頁)の議定のうち保安にかんする項目の顕著なもの2項目である。「村落社会の秩序を維持し村民の生命財産の安全を保持する為には犯罪者の摘発逮捕を要することいふ迄もないが、其の発生を防止する為に浮浪者其他単に他郷者の入村に就ても、孤立的な当時の村落社会として警察目的よりの取締が必要であった。」(上掲書76頁)。村落社会の自衛機能である。元来、封建社会における保安については領主権力がその任にあると考えられるのであるが、事例の横浜村を含む8ヵ村(小組合)、77ヵ村(大組合)も含めて関東地方では、代官支配の幕領、旗本知行所、大名領が錯綜し、それも小領主が多く、その警察力はきわめて貧弱であり、また、一村単位での保安能力には限界があるというので、これを組合村の編成により強化整備しようとしたのであるが、これを幕政上の制度として設けられたのが、関東取締出役(文化2<1805>年)であり、その下部機構として期待された文政10(1827)年の「御取締向御改革」による「改革組合村」の編成であった(大石 T 三郎編『日本史小百科 農村』 80頁)。もとよりそれ以前にも組合村の存在は認められているが、これをも含めて関東一元支配の制度としたものであり、これは明治5(1872)年から明治21(1888)年の間全国に展開した大区小区制に引き継がれた。ただし、後者では、前者と違って、組合村という地域共同社会の自治機能を吸収して明治政府の地方統治の末端機構として再編したものにほかならず、各別の村の自治機能は村落社会に、村をこえる組合村の行政機能は大区小区にという、分離をもたらした。この段階では、組合村の保安機能は国家に吸収され、村落社会の秩序維持は村落社会の内部秩序の機能として、村八分を典型に、所により昭和30年代初期まで、存続したのである。

 以上は、近年全国的に警察主導で展開されている「生活安全条例」と分類される条例制定の動き(約 1400自治体で制定されているといわれる)に触発されて歴史に顧みたものであるが、関東地方の「改革組合村」は幕府の指示によるとはいえ、組合村構成町村の自治機能として理解できるのであるが、「生活安全条例」による自治体の保安機能はどうであろうか(「生活安全条例」については『月刊自治研』03年10月号の諸論稿参照のこと)。

(たなか よしたか・地方自治総合研究所非常勤研究員)


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