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2015年10月コラム

シビル・ミニマムの<思想>からシビル・ミニマムの《実践》へ

 松下圭一先生が亡くなって、先生を追悼する意図でイベントを企画したことから、先生の著書・論文を読み直す機会が多くなった。ひとつは今年の8月下旬、「地域リーダー養成塾」修了者研修会において、分科会「市民自治の思想と地域・自治体の未来〜松下圭一は次の世代に何を託したのか〜」を同僚の小島聡さん(法政大学教授)の協力を得て実施した。また、今年の10月下旬には、法政大学まちづくり都市政策セミナーにおいて、分科会「松下圭一の思想と社会への影響」を実施した。
 本誌先月号コラムで今村先生が「まだ教えていただきたいことがあったのに……」と書かれていたが、私もまだまだ教えていただきたいことがたくさんある。そのひとつが、シビル・ミニマムの《実践》である。シビル・ミニマムの<思想>やシビル・ミニマムの<考え方>は、松下先生の論文や著書のタイトルとしてよく見かけるが、シビル・ミニマムの《実践》については最近ほとんど情報がない。それはなぜなのだろうか、という疑問である。
 シビル・ミニマムという語が最初に使われたのは、先生自身が『シビル・ミニマムの思想』(1971年)のあとがきで書かれているように、今から50年、1965年の「自治体における革新政治指導」(飛鳥田一雄編『自治体改革の理論的展望』所収、後に『シビル・ミニマムの思想』に収録)であった。そこでは、自治体計画の目標として、「生活保障(シビル・ミニマム)」と「地域開発」があげられており、また「国民生活基準(ナショナル・ミニマム)は自治体行政によってささえられるべきである。……逆にいえば自治体の自主的な市民生活基準(シビル・ミニマム)が国民生活の実態を決定すべきなのである」と指摘されている。その2年後、「都市科学の可能性と方法」(『世界』1967年11月号、『シビル・ミニマムの思想』に収録)には、「生活基盤、社会保障、公害についての基準(シビル・ミニマム)」や「都市生活権(シビル・ミニマム)」という語が用いられていた。
 その後、「東京都中期計画1968年 ― いかにしてシビル・ミニマムに到達するか」で計画の中心的な概念として「シビル・ミニマム」が用いられ、シビル・ミニマムの《実践》が始まった。1971年の「武蔵野市長期計画」では、「市道舗装100%達成」「私道舗装の90%達成」などの具体的数値目標とともに、シビル・ミニマムが多くの政策分野で設定された。また、横浜市「市民生活環境基準策定のために」(1971年)、「旭川市総合開発計画」(1972年)、「山形市市民生活環境基準(シビル・ミニマム)」(1975年)・「達成状況」(1976年)等が公表された(『資料・革新自治体』1990年、『続』1998年参照)。1970年代には多くのシビル・ミニマムの《実践》が行われたことがわかる。
 こうした実践の段階にあった1970年、先生は「シビル・ミニマムの思想」(『展望』5月号)を書かれ、これが翌1971年に『シビル・ミニマムの思想』として出版された。その後、70年代には《シビル・ミニマム》の語を含む論考がしばしば続いたが、80年代以降、きわめて少なくなった。そして2003年に『シビル・ミニマム再考』がブックレットとして出された。
 こうした流れから、私が自治の現場と向かい始めた頃には、《シビル・ミニマム》の語があまり使われない時代であったようだ。だから、《実践》がないと感じたのであろう。しかしながら、先生の著書や論文をよく読むと、80年代には、量の充足からシビル・ミニマムの<質整備>へと進み、それが《行政の文化化》の提唱へとつながっていることがわかる。さらには、<量過剰>抑制のための減量・再編へと向かい、こうした段階では指数設計や政策開発が格段に難しくなると述べられている。《シビル・ミニマム》を目にすることが少なくなった理由と考えられる。《実践》が少ないと感じたのは、私の不勉強のせいであったようだ。

 

むとう ひろみ 法政大学公共政策研究科教授)

 

 

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