2009年10月自治動向
高等学校授業料の無料化はどう実施すべきか | |
田口一博 |
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◆政策の背景と根拠 高等学校授業料を無料にすべきであるという政策をどのように実行すべきかが議論されている。 そこで、国際人権A規約(経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約)第13条第2項 (c)は、「高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること。」としている(外務省訳)。日本国憲法も義務教育の無償を言う前に「能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利」を確認している(26条)。もちろん無償なのは義務教育だけ、と言っている訳ではない。 ところが、日本はマダガスカルとともに国際人権A規約のこの条項を留保しているのである。6月に来日したフィンランド前国会議員のイルッカ・タイパレ博士は1980年代、同国が不況と失業で最も苦しんでいたときに、大学までの高等教育を無償化させたことを述べられていた。それが今日のフィンランドの教育水準を飛躍的に高め、ひいては産業活力の源泉ともなったという。これまでの日本の教育観も、「米百俵」に代表されるように、苦しくても教育にかかる費用を惜しまずにいたことが義務教育を地方の負担で普及させる力になってきたのであろう。 ◆政策の実施ところが、現在議論されているのはこれからの社会を背負って立つ若者の人権をどう保障するか、ではない。高等学校の授業料を「実質」無料化するために、どこが事業主体となってどのように現金を給付するか、という実施手法が中心となっている。授業料相当額を保護者個人に給付することも言われている。それならば市町村でなければできないという主張もある。目の前に問題があれば、放ってはおけないのが自治体の性(さが)ではあるが、ちょっと待って考えてほしい。政策目的は社会権としての人権保障である。高等教育を無償化する手法は何通りもある。学校の設置者に必要経費を給付してもよいし、施設の設置費用や教員の給与を公的に負担してもよいだろう。学校の設置者という「川上」ではなく、これまで授業料を負担してきた「川下」の保護者に授業料等として支払うべき費用を給付するにしても、現金を給付するばかりが方法ではない。税からその相当額を控除するという方法もある。高校生がいる非課税世帯は消費税免税、だってよいだろう。やり方はいくらでもあるのであるr。 ◆行政のムダの排除という観点から考えれば今、全国で高校生は3,347,212人。一方、高等学校は5,183校である(数値は文部科学省の平成21年学校基本調査速報値による)。割り算をしてみれば、5千余りの高等学校に直接給付する方が、全国で高校生の保護者一人一人に給付するより少なくとも646倍は効率的である。また、別に現金にこだわる必要もどうなのか。毎月天引きして納税している所得税や年金・健康保険の保険料の債権と相殺するなど、法改正する必要もあるが、お互いに現金をやりとりして確認するムダな仕事を減らすだけでも、即効性がある。役所の活動量を増やすことが政策なのではない。学校側でも煩雑な授業料の徴収事務がなくなれば、その分、教育が充実できるではないか。校長先生が授業料を立て替えているのは美談かもしれないが、しかしそれは本務ではない。教育に専念できない原因が授業料ならば、それは本末転倒も甚だしいではないか。 ではどうすればよいか。現在行われている私学助成等は、教育への公権力の介入ではないという観点から、教育委員会ではなく、首長事務部局の財政担当課が行っているのが通例である。そうであれば、学校への給付の事務は「歳入庁」ができるまではその主力であろう税務署が行ってもよい。税務署は全国に524署であるから、1つの税務署で担当するのは約10校分に過ぎない。税務署は忙しいのかもしれないが、しかし在籍生徒数に応じた申請により授業料相当額を給付する事務は、国税の賦課徴収よりも容易であろう。もちろん、国が有する債権と相殺することは当然である。 目的は高等教育を受ける門戸を少しでも拡げること。それに伴う行政のムダは少ないほどよい。どうしても費用をかけたいのであれば、教育本体にかけるべきである。 ◆自治とは、自分の頭でよく考えてみること自治体はやるべきことが山積である。定額給付金のように、複雑な仕組みをつくり、税からの控除や還付で行えばずっと費用がかからなかった筈の事務を「とにかくやらなければ」と今やっている仕事をやめて引き受けるようなことはもう止めよう。そんなことをするために合併や職員削減、行政改革をしたのではなかったはずだ。 国の財源や権限を分配されれば、住民の福祉が向上する、ということは常に真理であるとは限らないこともわかった。分権の時代は終わっている。政権交代後は分権により得られた成果を自治として活かす時代である。自治体は国の手先でも、奴隷でもない。いつまでも国の顔色を見るのは止めよう。住民のために、自治体がやるべきこと、自治体でなければできないことはいくらでもある。それでもなお、国が仕事を自治体にやってくれという議論が出てきたら、「どうして?」と聞いてみよう。それが自らの頭で考える自治の証しなのである。 |
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文責 : 田口 一博 |