2003年10月自治動向
制度変化のダイナミズム ―公職選挙法改正による「期日前投票制度」導入をめぐって― |
|
嶋田暁文 |
|
すこぶる改正の多い法律の一つに公職選挙法がある。仮に改正頻度に応じて「硬性法律」と「軟性法律」とを概念的に識別するなら、公職選挙法は、軟性法律の最たるものといえよう 1)。一般的にいって、軟性法律よりも硬性法律の改正の方が注目を集めやすい。一方で、軟性法律の場合、一つひとつの改正があまり注目されないために、「誰も気づかないうちに重大な改正がなされている」という状況が生まれやすい。今年 6 月 4 日に成立した「公職選挙法の一部を改正する法律」(平成 15 年 6 月 11 日法律第 69 号)による公職選挙法改正はその典型例である。 この改正はいくつかの内容を含んでいるが、ここで注目したいのは、「選挙期日前投票制度」の導入である( 48 条の 2 として新設)。これが施行されると、「選挙人名簿に登録されている市町村」での投票については、「不在者投票制度」から「期日前投票制度」に移行することになる(本年 12 月 1 日から施行) 2)。 実際に不在者投票したことのある方はご存知だと思うが、不在者投票の手続きは、「交付された投票用紙を記載し、投票用紙を内封筒に入れ、さらにその内封筒を外封筒に入れて、外封筒の表側に自分の氏名を記入(自書)する」という非常に手間がかかるものである(*外封筒への氏名記入後、立会人の署名または記名押印(市町村の選挙管理委員会が管理する不在者投票記載場所以外は署名のみ)を受けて、不在者投票管理者である選挙管理委員会委員長に提出)。こうした手間に加え、記名するという行為が「投票内容をチェックされてしまうのではないか」という不安を喚起することから、従前、不評を買っていたところである。 ところで、なぜ不在者投票の際に外封筒に記名しなければならないのかをご存知だろうか?答えは、「開票前に選挙権のない者の票を取り除くため」である(*つまり、不在者投票による投票は、選挙当日になって選挙権を確認の上で投票箱へ入れる。そこで初めて投票が確定するということになる)。不在者投票時に生存していた人が選挙当日までに死んでしまった場合などにそうした作業が必要になる。これは、公職選挙法 43 条が「選挙の当日、選挙権を有しない者は、投票をすることができない」と定めていることに起因している。 1997 (平成 9 )年の法改正で不在者投票事由が緩和されて以来、不在者投票の投票者数が着実に伸びていった。しかし、上述のように、このしくみは国民から不評を買っている。投票時および開票時において多くの手間がかかることから、実際に選挙事務に携わる自治体職員からの評判もよろしくなかった。そこで今回の法改正となったわけである。 具体的には、同条第 1 項中の「選挙の当日」の次に「(第四十八条の二の規定による投票にあつては、投票の当日)」という文言を挿入するという方法がとられた。これにより、投票箱へ入れた時点で投票行為が完結することになる。投票した時点で確定投票となるわけである。 この 43 条の改正によって現行の問題点は一応解消できるわけであるが、他方で新たな技術的問題が表出してくるため、これへの対応を迫られることになる。 第 1 に、今回の衆議院選挙を例にとれば(* 12 月 1 日施行なので実際には今回の衆議院選挙に関しては期日前投票制度の適用はない)、 11 月 9 日に 20 歳の誕生日を迎える人は、選挙日である 11 月 9 日には選挙権を有するが、期日前投票を行うことができないことになる。また、 11 月 6 日に 20 歳を迎える人は、選挙日当日である 9 日の投票と 6 日から 8 日までの期日前投票を行うことはできるが、 5 日以前の期日前投票はできないことになる。 こうした問題状況への対応を定めているのが、公職選挙法施行令第 50 条第 2 項である。それによれば、「法第四十八条の二第一項各号に掲げる事由に該当すると見込まれる選挙人で現に当該選挙の選挙権を有しないものは、前項の規定による請求をする場合を除くほか、選挙の期日の公示又は告示があつた日の翌日から選挙の期日の前日までに、その登録されている選挙人名簿の属する市町村の選挙管理委員会の委員長に対して、直接に、投票用紙及び投票用封筒の交付を請求することができる」こととなっている。すなわち、期日前投票ができない場合には、不在者投票制度で代替するということになっているのである。 第 2 に、あまり認識されていないと思われるが、期日前投票制度の下では、二重投票を回避するため、本人確認手続きを強化する必要がある。従前であれば、外封筒に名前を記入しているため、他者が本人と偽って不在者投票を行った後で本人が投票した場合、後者の投票者が本人であることが証明されれば、最初の投票を破棄すればよかった。しかし、期日前投票の場合には、外封筒に記名しないため、違法投票を取り除くことができない。 上記ケースは他者が本人を偽った場合であるが、本人が故意に二重投票することも考えられる。この場合も、本人が「私はまだ投票していない」と強硬に主張した場合に、投票を拒否することはできないであろう。結局、二重投票が成立してしまう。 この問題は、本人確認手続きが緩やかであることに起因している 3)。不在者投票制度の下では顕在化してこなかったが 4)、期日前投票制度を導入した場合、それによるデメリットが一気に顕在化する可能性がある。本人確認手続きを強化する必要があろう 5)。
本事例が興味深いのは、投票率を上げることを目的として行われた不在者投票事由の緩和が功を奏し、不在者投票が活用されることになったことが、逆に制度運用にまつわる問題の表面化をもたらし、それが最終的に、有効投票の確定という、選挙(結果)の正統性を根幹から揺るがしかねない制度の原則的部分の変更に結びついた点にある。 周辺的な制度変更が、「意図せざる結果」として、最終的に、中核部分の制度変更をもたらすという制度の自生的変化のダイナミズム。 研究対象としての「制度」の魅力の一つがここにある。 以上 【脚注】 1) 「硬性」「軟性」という表現は、「硬性憲法」「軟性憲法」の概念に示唆を得てはいるが、意味内容は全く異なっている点に注意して欲しい。「硬性憲法」「軟性憲法」は、「やたらと改正されることを防ぐために通常の法律より改正手続きを厳しく定めてある憲法」か、それとも「民意の変化が憲法に反映されやすい仕組みこそが民主的であるとして、改正しやすい、通常の法律と同様の改正手続きを定めてある憲法」か、という基準のもとで構成されている概念である。これに対して、本稿では、改正頻度が高いか否かに基づいて「硬性」「軟性」を概念化している。 2) なお、不在者投票制度から期日前投票制度導入への移行に伴う変更として、現行法の不在者投票制度の下で可能な選挙期日の公示または告示の日当日の投票が、期日前投票制度の下では、公示また告示された日の翌日からしかできなくなることになった。 政府答弁によれば、「公示または告示当日は、立候補の受け付けをあわせてやっているため、選挙人への投票時点での情報提供、氏名掲示が不十分になってしまう」などがその変更理由のようである。国会審議でもこの点をめぐって、「従来可能だった貴重な投票機会が一日分奪われてしまうことになるのではないか」との批判が存在していたところである。 しかし、この論点は、本題とはあまり関係がないのでここでは言及にとどめておく。詳しくは、平成 15 年 5 月 21 日の 156 国会・衆議院・政治倫理の確立及び公職選挙法に関する特別委員会における阿久津議員の質問とそれに対する政府答弁を参照していただきたい。 3) 現在の不在者投票制度の下では、票用紙及び不在者投票用封筒の交付を請求する際に、 不在者投票の事由に該当する旨の宣誓書 に署名する。現在は、これをもって本人確認を代替しているようである。つまり、まともな本人確認手続きは存在しない。 4) しかし、不在者投票制度の下でも、本人確認手続きが緩やかであるがゆえに、明らかにあちらの筋と分かる連中が、「金で票を買う」ことにより、本人の名を偽り不在者投票場に押しかけるという問題が生じてきた。本人が了承している以上、二重投票は生じない。本人確認を厳格にしない限りは、期日前投票制度においても引き続き起こりうる問題である。この点は、三野靖自治総研研究員のご教示による。記して感謝したい。 5) ただし、これは「言うは易し」である。実際に本人確認手続きを厳格した場合に、本人証明するものを持たない投票者を、「本人確認できるものがない」という理由で投票させないという運用ができるかどうか、実務的にはかなりしんどい話であろう。
【参考条文・公職選挙法(未施行)】*本文で引用したものを除く。 第四十八条の二 選挙の当日に次の各号に掲げる事由のいずれかに該当すると見込まれる選挙人の投票については、第四十四条第一項の規定にかかわらず、当該選挙の期日の公示又は告示があつた日の翌日から選挙の期日の前日までの間、期日前投票所において、行わせることができる。
|
|
文責 : 嶋田暁文 |