地方自治総合研究所

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月刊『自治総研』2023年8月コラム

2023年統一地方選挙

本年、統一地方選挙の前半戦が4月9日、後半戦が4月23日に行われた。1947年4月に日本国憲法や地方自治法の施行に先立って第1回統一地方選挙を実施してから76年が経過し、今年で第20回目を迎えたことになる。もっとも「統一」といっても、文字どおりどの自治体もいっせいに選挙を行う比率=統一率は、当初の100%からその後2回の市町村大合併などを経て大きく低下し、今回は27.54%だったと報じられている(https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/93571.html)。

今回統一地方選挙の結果のうち、国政政党勢力の動向いかんという観点から自治体議会選挙の結果に着目し、なかでも政令指定都市を除く市と特別区の議会選挙が前回選挙と比べてどうであったかを見てみる。

まず国政与党である自民党と公明党は小幅ながら議席を減らしている。つぎに国政野党では日本維新の会が議席を約3.5倍にまで伸ばし、ついで立憲民主党も躍進する一方、日本共産党が大幅に議席を減らしたことが目立つ(https://www.asahi.com/senkyo/local/)。もっとも立憲民主党の躍進には、政党組織の再編とそれにともなう自治体議員の立憲民主党への党籍変更という要因も働いている。それと裏表の関係で、国民民主党と社会民主党のかなり劇的な議席減にも同じ要因が作用した面があると考えていい。

さらに観察に絞りをかけ、東京都内の市と特別区の議会選挙がどうであったかも見てみる。全体的な特徴は全国の動向と大きく変わらないが、自民党と公明党とくに前者の議席減少率が全国のそれと比べて顕著に高いことが目を引く。また、日本維新の会は議席を14から67へと飛躍的に伸ばし、東京の自治体議会でも存在感ある政党になった(朝日新聞東京本社版2023年4月26日付)。

自治体議員にとって、自分の自治体議会選挙以外の選挙で所属政党が推す候補者の選挙活動に加わり、集票マシンの一部になって働くのはきわめて重要な仕事である。議員中心型政党である自民党にすれば、とくに東京での自治体議員減=集票マシン減はそれほど小さくない痛手であったろう。第211国会の最終盤近くまで、各方面から解散総選挙近しと盛んにいわれながらついにそうならなかった要因の1つに、自民党にとって芳しくない今回統一地方選挙の結果もあったのではないかと推測する。

政令指定都市を除いて、市区町村の議会選挙は各自治体の区域をそのまま選挙区とする大選挙区制を敷き、また、すべて地方選挙は投票方法に単記非移譲式を採用している。法制上の根拠は公職選挙法第12条第4項、第15条第6項、第46条第1項、第95条第1項にある。市区町村議会選挙の大選挙区制と政党政治の相性の悪さは、本誌2023年1月号巻頭コラムで述べたとおりである。それを運用面で改善しようとするなら、所属政党を同じくする議員候補者が仲間の当選者数を最大化するために、なんらかの方法で票割りをするしかない。この点に関連して、今回の特別区議会選挙で印象に残るできごとが2つあった。

1つは、公明党の票割りである。練馬区議会選挙では、同党候補者11名のうち下位得票7名の得票数が2,991.572票から2,878票まで切れ目のない順位で並び、見事な票割りと考えるほかない成果を残した。ところが前回選挙と比べて投票率が1.55%、当選者の最低得票ラインが148票上昇したために、7名のうち4名が当選ラインに届かなかった(https://www.city.nerima.tokyo.jp/kusei/senkyo/kekka/index.html)。自治体議会選挙で候補者当選率の高さを誇る公明党としては異例の事態だったといわれる。

もう1つは、立憲民主党と日本共産党の票割りである。杉並・練馬区議会選挙の一方または双方で両党は告示前、すべての候補者に区内の一定区画を活動/担当地域として割り振り、それを地図に落としたチラシをつくって有権者に配布した。地域割りを意識した有権者の投票行動が結果的に票割りに結びつく効果を期待した戦術だろう。両党に限らず、政党がそうした戦術を舞台裏ではなく、目に見えるかたちで使ったのは今回が初めてではないか。その甲斐あってか、立憲民主党は練馬区で候補者6名全員、杉並区で候補者7名中6名、日本共産党は練馬区で候補者6名中5名、杉並区で候補者7名中6名が当選という成果をあげた。

ここで政党のこうした運用努力を讃えたいのではない。そもそも現行大選挙区制を政党本位で競い合える別の制度にあらためれば、こうした運用努力は無用になり、その分、政党はより意義のある活動に資源を回せるはずである。にもかかわらず、現行制度を維持し続けることにどのような合理的理由があるのか。そこが問われているのだと考えている。

こはら たかはる 早稲田大学政治経済学術院教授)