地方自治総合研究所

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月刊『自治総研』2025年5月コラム

「廃炉」基本法と条例の制定を

東電福島第一原発の爆発事故から14年余、ずっと心配している。果たして、廃炉はできるのか。

溶け落ちた核燃料(デブリ)、推計総量880tを本当に安全に取り出せるのか。前例がないだけに計画通りに進まないのはやむを得ない。だが、それにしても先行きが不透明すぎる。

昨年11月、予定より3年遅れで初めてデブリを取り出せた。わずか0.7g、耳かき一杯分で、総量の12億分の1。それでも「放射性物質を原子炉建屋外に漏らさずにできた技術的な意義は大きい」と言われた。

そこで1日にどれくらい運び出せば、何日くらいで作業が完了するのかを試算してみた。10gから始めて、うまくゆけば100g、500gと増やしてゆけるのか。いずれは最先端の技術を駆使して、さまざまなロボットが開発され、巨大なデブリの塊を切り刻むとか、引っかき出すとかできるようになるのか。

●毎日10㎏ずつ取り出せたとして……

 そうなれば、1㎏、5㎏、さらに今は見当もつかないけれど、1日に10㎏を処理できる日も夢ではないのだろうか。獲らぬ狸の何とやらと思いつつも電卓をたたいて、わが目を疑う。

年中無休で365日、10㎏ずつ取り出せたとしても、答えは240年。ため息しか出ない。

廃炉には、デブリや解体した原子炉などの放射性廃棄物の持って行き場がないという問題もある。正常に運転を終えた原発の核廃棄物の最終処分場すら決まらない現状を見れば、容易でないのは言を俟たない。

さらに、もっと唖然とする現実がある。そもそも「廃炉とは何か」があいまいなのだ。

「実用発電用原子炉の設置、運転等に関する規則」(1978年通産省令第77号)は第121条で「廃止措置の終了確認の基準」を定めている。

そこには①核燃料物質の譲渡しが完了している②土壌及び敷地に残存する施設が放射線による障害の防止の措置を必要としない状況にある③核燃料物質又は核燃料物質によって汚染された物の廃棄が終了している、などとある。

①には誰に「譲渡し」をするのか、その相手先が書いていないし、②には具体的な数値がない。要するに「廃炉」の定義がはっきりしない。つまり、めざす最終形が不明確なのだ。

おまけに現場は政府と東電などの「寄り合い所帯」で、未経験の難作業をしているとあっては、責任の所在があいまいになるのは当然だ。

いまはデブリ採取などの重要な作業は政府が工程表で定める。これに沿った技術戦略を政府などが出資する「原子力損害賠償・廃炉等支援機構」が毎年つくる。だが、工程表の通りにできなくても罰則はない。国会などの国民代表の目を入れて計画変更を審議するわけでもない。だから、淡々と計画が先延ばしされてゆく。

これでは国策として原発をすすめてきた政府としては無責任すぎる。事故後にいったん「可能な限り原発依存度を低減する」としてきた方針を、民意を問うこともなく「最大限活用する」に大転換しているだけに罪深い。

この現状を改めるために、「廃炉」に関する基本法をつくるべきだと考える。法律により、「廃炉完了」を具体的に定義した上で、完遂までの責任の所在を明確にするのだ。

●「大廃炉時代」を見据えて

 中部電力浜岡原発2号機の廃炉作業が始まるなど、すでに「大廃炉時代」の幕は開いている。

一般的な廃炉の責任者は各電力会社だろうが、福島の場合は政府が先頭に立つのが当然だ。

法制定と並行、あるいは先んじて、原発立地及び周辺自治体も「廃炉」に関する基本条例をつくった方がいいのではないか。住民との事前協議や、住民参加型の工程管理委員会の設置を義務づけるといった内容が考えられる。

福島県の内堀雅雄知事には2年前、記者会見で条例制定の考えを問うたことがある。「現状では不要」との回答だったが、作業の難航は必至だけに、条例でいま以上に「廃炉の現状と先行きを見える化」した方が住民も安心できるに違いない。

最後に、「廃炉とは何か」を考えるために、東電の原子炉圧力容器の設計にかかわり、国会事故調査委員会の委員も務めた専門家の話を紹介する。

彼によれば「設計段階では廃炉について誰も見通しを持っていなかった」という。その上で、廃炉への道のりの険しさを指摘しつつ言った。

「原発の跡地が綺麗な公園になって、人が、子どもがそこで自由に遊べるというようなことは、これはもう実現不可能だと思います。だから、そういう幻想は抱かないほうがいい」

つぼい ゆづる 地方自治総合研究所客員研究員/元朝日新聞論説委員)