地方自治総合研究所

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月刊『自治総研』

2022年8月のコラム

コロナ禍で問われる社会政策と自治体

 名古屋大学の荒見玲子さんが、政治学会の『年報政治学2022-Ⅰ号』に「支援はなぜ必要な人に届かないのか ― コロナ禍における行政サービス配送の不均衡」を書いている。まさにこの表題のままのことをずっと感じ続けてきた(『自治総研』2020年7月号)。一方で、なぜか「地方創生」という冠を付けた「新型コロナ感染症対応地方創生臨時交付金」や「持続化給付金」などが、国債を原資として湯水のごとく流されていた(『月刊自治研』2020年9月号)。あたかも正反対のように見えるこれらの現象は、実は表裏一体のものではなかったかと考え始めている。
 どこかで似たような光景を見た。10年と少し前、東京電力福島第一原子力発電所苛酷事故が起きてしばらくしてからの自治体の役場のようすだ。住民はもちろん、役場でさえも遠隔地に避難している状態にもかかわらず、国の復興予算は年限を切られていた。そこで、その受け皿として、住民も役場も存在しない地域の「復興」計画を策定せざるを得ず、さらに実際に国から復興予算が降りてくれば執行もしなければならない。その結果、順次、避難指示が解除されるにつれて、住民はかつての地域の片鱗さえ感じられないような風景の変化にたじろぐこととなる。今年に入ってからの双葉町や大熊町の一部避難指示解除でも、たった数か月で風景が一変するようすを見てきた。未だに避難指示が解除されていない帰還困難区域の大部分でも、これから順次、似たようなことが起こるだろう。
 どうして支援が必要な人たちに支援が届かず、関連はありそうだけど距離の離れた領域にお金が流れていくのか。このことを突き詰めていくと、やや飛躍があるように思われるかもしれないが、国家統治論への回帰を意識せざるを得ない。戦後、国民が主権者であるという理念は観念的に共有されてきたが、その国民主権論が国家主権論に置換され国家統治論として構築されてきた。これに対置されたのが、国と自治体とを政府間関係として再構成し、それぞれのレベルの政府に市民が信託をするという自治・分権型の市民自治論(信託統治論)であった。これが2000年分権改革を導く理念となる。
 しかし原発事故やコロナ禍など、幾多の「緊急事態」に際し、大量の国家財政が投入されることを通して、国家主権的な国家統治論への回帰が顕著になってきた。市民生活や地域社会の困難を括り上げて、自治体から国へと政策化していく市民自治論に対し、国家統治論は統治者の考える「あるべき姿」を実現するために、「あるべき政策」を財政措置とともに落とし込んでいく。この結果、自治体は支援を必要とする人たちの姿が見えなくなり、財政措置とともに降りてくる国の政策を実施する部隊と化して疲弊化が進む。今や、国は「緊急事態」を「非平時」にまで拡大解釈しようとしている。
 第37回自治総研セミナーは、9月17日(土)に、「コロナ禍で問われる社会政策と自治体 ― 『住まい』の支援を中心に」をテーマとして開催される(詳細は本号に折り込まれるチラシや自治総研ウェブサイト参照)。おそらくこの場でも「支援はなぜ必要な人に届かないのか」ということが、具体的な事例とともに話題に上るだろう。なぜそんなことが起こるのか、私たちは根本的な構造を読み取る必要に迫られるかもしれない。

 

いまい あきら 公益財団法人地方自治総合研究所主任研究員)