第9次地方分権一括法が5月31日に成立し、6月7日に公布された。今回の目玉とされているのは学童保育の職員配置や資格基準を「事実上撤廃」する児童福祉法の改正であり、国の資料によれば「これにより、事業の質を担保した上で、地域の実情に応じた運営が可能となる」とある。思わず唸ってしまう。どうしてこんなふうに書けるのか。
去年の第8次地方分権一括法では、幼保連携型認定こども園の居室の床面積基準が緩和され、大都市圏を中心とした地域で独自の基準設定が可能とされた。これによって「待機児童の解消に資する」ようになるらしい。
いずれも当事者である保護者からは批判の声が聞こえてくる。進めば進むほど市民から自治体への批判が高まるだけのような「地方分権」とはいったい何だろう。
スーパーシティ法(国家戦略特別区域法改正)が国会に提案されている。一定の条件を備えた事業者が自治体の保有する情報の提供を求めることができるようになる。首長は「遅滞なく、当該求めに係るデータを当該求めをした実施主体に提供するものとする」とあるので、これは首長への新たな義務付けの創設である。もちろんこのデータには住基情報も戸籍情報も含まれる。
一方では「義務付け・枠付けの見直し」という名目で「規制緩和」を進め、その結果についての責任を自治体に回し(国は免れ)、一方ではビジネス(「成長産業」!)のためであれば新たな義務付けを自治体に課す(もちろんこの結果責任も首長がとることになる)。これが私たちの望んでいた「地方分権」の姿なのか。
2000年分権改革の理論的バックボーンは地方政府論だった。地方政府論によって自治体の可能性を追求したのが2000年分権改革だったのである。いまや自治体もまた政府であると言っても誰も驚かないまでになった。
しかし今の私たちの眼前に広がるのは、可能性の先に突き当たった自治体の「限界」である。この「限界」がどの程度のものなのか、正直、よくわからない。そもそも「限界」と言っていいのかどうかもわからない。むしろ「必然」だったのか。それともちょっとした気まぐれ程度のものなのか。
そこでことしの自治総研セミナーは自治体の可能性と限界について原発災害を通じて考えようということになった。東京電力福島第一原子力発電所苛酷事故以来8年余りの間、自治体には何ができて、何ができなかったのか。
もしも双葉郡に8つの町村が林立していなければ、被災者や避難者はもっと混乱し、さらに多くの健康被害が出たことだろう。自治体の存在意義と価値を明らかにしたという意味で、自治関係者の誇りとしてもよいと思う。一方、現在の被災地自治体は「復興の加速化」路線に飲み込まれ、長期的な展望を持てないでいるかのように見える。
そこで東京圏を含む被災地自治体の実態からアプローチするセッションと、そのことから自治体理論に与えたインパクトを議論するセッションの二つを用意した。濃密な議論になることは間違いない。
セミナーは9月21日(土)、法政大学で行われる。詳しくは本誌に封入されているチラシをご覧いただきたい。自治総研のウェブサイトから申し込みができる。多くの方が自治体の可能性と限界についての議論へ参加してくださることを期待したい。
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