地方自治総合研究所

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月刊『自治総研』

2019年5月のコラム

地方分権改革の現在

 第一次地方分権改革が1995年の地方分権推進法の成立と「地方分権推進委員会」(諸井虔委員長)の発足で始まって、今年で24年になる。前段として1990年3月に発足した第3次行革審(鈴木英二会長)における最終答申で、地方分権大綱をつくれと国に要請したこと(1992年6月)が分権への筋道をつけた。したがって、地方分権の議論中に、しばしば小さな政府と効率性を求める「行政改革」の流れが前に出て、話が混乱する。(この辺りを並河信乃氏が素描している。『自治総研』第449号)
 西尾勝東大名誉教授は次のように言う。「地方自治の拡充を目的とした地方分権改革と、行政の減量・効率化を目的とした行政改革とは、時にはその目的が重なり合うこともありますが、多くの場合には、容易に重なり合わない、対立しあう側面も持っています。そのような性質を背負いながら、どうやって両者の折り合いをつけながら改革をすすめるかということが当事者の一番苦労してきたところだと感じています。」(内閣府・分権クローズアップ{有識者へのインタビュー}第1回)。
 また分権改革の議論の柱も、国の仕事を都道府県に、都道府県の権限を市町村に、どう移すかという「所掌事務拡張路線」と、機関委任事務制度の全面廃止というような「自由度拡充路線」とがあり、第一次分権改革までの分権論が「所掌事務拡張路線」であったものを、第一次改革で初めて「自由度拡充路線」をとることで5次までの勧告と地方分権一括法として実現したのだという。
 ところが、2000年に小泉内閣が成立し、経済財政諮問会議を中心とした小泉改革が始まる。小泉改革は、郵政民営化などと、指定管理者制度や市場化テストの導入などがあるが、一つの中心は、「三位一体の改革」である。この改革は、地方交付税と地方税、国庫補助負担金の三位一体改革とされたが、実際は交付税の大幅削減であった。
 一方で分権については「地方分権改革推進会議」(西室泰三会長)が2001年に置かれたが、財務省主導の三位一体改革に向けた議論が中心で、会長サイドと神野直彦委員など分権論の議論を進めようとした側との意見がまとまらず、最終報告には5人の委員が報告に反対したと記されることとなった。
 その後、分権の推進を求める地方6団体などの働きかけがあって、2006年12月に「地方分権改革推進法」が成立し、これに基づく「地方分権改革推進委員会」(丹羽宇一郎委員長、2007年秋から委員長代理に西尾氏)が2007年4月1日に設置された。ここで第一次から第四次までの「地域の自主性及び自立性を高めるための改革の推進を図るための関係法律の整備に関する法律」(一括法)によって分権改革が進められてきた。ただ、発足当時の第一次安倍内閣は1年、継いだ福田康夫内閣も麻生太郎内閣も短命で、結局、2009年9月に鳩山由紀夫民主党内閣に引き継がれた。丹羽委員会の任期は2010年3月までの5年間だったが、政局に振り回された委員会だった(この間の事情は、三重県政策部企画室編集の『地域政策』14号「特集 検証・丹羽分権委員会」で、大森彌東大名誉教授が紹介している)。
 そして第二次分権改革は、第二次安倍内閣の2013年4月の「地方分権改革有識者会議」(神野直彦座長、小早川光郎副座長など9名)の発足で新しい局面に入り、権限移譲や義務付けなどを緩和する四次までの一括法にまとめられた。
 さらに2014年8月1日以降は、この有識者会議の下に、「提案募集検討専門部会」(部会長の高橋滋法政大学教授ほか、7名)が置かれ、引き続き、都道府県や市町村など現場からの提案を整理し、改革を進める作業が続いている。2019年3月3日の閣議決定「第9次一括法案」では、都道府県から中核市に介護サービス事業者に対する立ち入り検査をする事務・権限を移譲する介護保険法改正案のほか、義務付け枠づけの見直しを含む13法律の改正案をまとめている。自治体の自由度を拡大する方向での改革が地道に進められていると言えるのだろう。

 

さわい まさる 奈良女子大学名誉教授)