地方自治総合研究所

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月刊『自治総研』

2018年3月のコラム

戊戌と戊辰


菅原 敏夫

 2018年は「この歳になって」自分の無知を思い知ることから始まった。まず、年賀状の返事を書こうとして、今年の干支「戊戌」の読みを思い出せなかった。今年の年賀状は投函の期限が決められていたので、ゆっくり記憶をたどる暇がない。「いぬ」なのは明白なので、『広辞苑』で「いぬ」を引き、折良く「戌」の音読みが出ていれば、それが最短のように思えた。しかし広辞苑はそういったずぼらな願いには応えてくれなかった。漢和辞典を引けばいいのだが、私の漢和辞典は白川静『常用字解』なので、常用漢字でもない、人名漢字でもない(確かに戌子さんとか戌夫君とかには会ったことがない)「戌」は出ていないのだ。
 「ぼ○○」を思い出せばいい。「ぼしん」。「辰」でないのは明らか。「じゅ」と読んだことがある。「衛戍令」。結構物知りだと自惚れたら、無知を再確認しただけだった。やっとの思いで「ぼじゅつの政変」にたどり着き、変法自強、康有為、高校世界史まで戻って「戊戌」が「ぼじゅつ」であることがわかった。時間もかかって、知識も曖昧なことを思い知った。明治150年を知った風に批判していながら、中国の近代化の苦節が視野に入っていなかった。
 もう一つの無知は「戊辰」が引っ張り出してきた。
 研究所の隣の駅、飯田橋の駅にホテルの宣伝ポスターが貼ってあった。近くの大きなホテル。「会津フェア」だというのだ。宣伝文句に「戊辰戦争150周年を記念して会津食材とゆかりの地である青森県陸奥市の食材がコラボレーションした料理も登場します。」
 笑った。陸奥市というありそうで実在しない市が登場するのはご愛敬だが、いくら何でも戊辰戦争を記念して料理のフェアを開催するのを会津が快く思うはずがない。会津から見れば凄惨なあの負け戦。明治150年記念とはいえないので、商魂たくましく思いついた戊辰150年。戊辰戦争の本質をわかっていないのだ。
 ひとの無知を笑うと必ずしっぺ返しが来る。知らないのは自分の方だと知らされる。今度もそうだった。
 会津若松市のHPを見て驚いた。「戊辰150周年記念事業」を市が掲げているのだ。記念する理由は、戊辰戦争が「義」の戦いだったから。会津側に義がある。それから今日まで続く長州藩閥政権を「不義」だと主張したいわけではなさそうだが、ホテルの宣伝は、商魂でも歴史への無知によるものではなく、「戊辰150周年」の公式のロゴマークを使い、市役所のお墨付きももらった直球の催しだったのだ。
 150年前、日本で(小文字の)civil warが戦われ、北軍(奥羽列藩同盟)は南軍(官軍)に破れた。内乱のさなかという点では、ゲチスバーグの演説(1863.11.19)と五箇条の御誓文(1868.4.6)は同じ意味がある(少し違うけど)。
 戊辰戦争の敗者に義(cause)があったとするなら、現在の地方自治制度も考え直さなければならない。分離独立は権利となり、単一不可分の主権概念は虚構となる。地方自治の根拠は封建制と藩に由来する文字通りの地域主権となる。「義」によって良いことの方が多いようにも思うが、主権の鎧を着た強制の体系がもう一つ増えてしまいかねない危惧も覚える。人は家族を選べない。国家を選ぶのは排外主義が横行する今日ではほとんど不可能に近い。したがって、両方への帰属が強制され、家族愛と愛国心は公共善の第一の徳目であり、繰り返し、学校教育で刷り込まれる。そこにいくと地方自治は主権性が希薄な分いい加減で、一人分離が可能、そう遠くまでは行けないとしても、帰属の選択に意味がある。
 高校生の頃、愛国心が息苦しかった。建国記念の日・道徳教育・期待される人間像。ちょうどその頃、薄いという理由だけで買った文庫本に「労働者に祖国はない」と書いてあった。ほっとした。その後労働者は家族も形成できずに孤立化し、とっくの昔に故郷から出奔した。祖国への帰属から逃れるプロジェクトだけが課題として残った。その本の発刊から今年は170年なのだが。

 

すがわら としお 公益財団法人地方自治総合研究所委嘱研究員)