2015年3月のコラム
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JR山田線の復旧と復興 |
武藤 博己 |
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昨年11月に「いわて自治研センター」が主催する「JR山田線と三陸鉄道の現地視察」に参加した。新しく始まる地域公共交通研究会としての関心や個人的な関心があり、また三陸鉄道にも乗車できるというので、期待して参加した。 個人的な関心とは、昨年4月に全面復旧した三陸鉄道に対し、JR山田線はまだ復旧していない。なぜなのだろうか、という疑問であった。現地を視察し、関係者から説明を聞いて、その理由が理解できた。本稿では、その経緯と論理を示すことにしたい。 三陸鉄道は、2011年3月11日の東日本大震災で大きく被災した。しかしながら、そのわずか5日後の3月16日に北リアス線の一部で運行が再開され、2014年4月6日に北リアス線が全線開通した。南リアス線は、2014年4月5日に全線開通した。震災から3年強で全線開通したのである。 それに対して、JR山田線は、まったく復旧されず、そのまま放置されている。しかしながら、手をこまねいているわけではない。復興調整会議(2011年6月~)、公共交通確保会議(2012年6月~)、利用促進会議(2013年5月~)、沿線首長会議(2013年2月~)、復旧に係る沿岸市町村首長会議(2014年8月~)と多様な会議体を設置して対応してきた。 JR東日本は、当初からBRT(バス専用道による高速輸送)方式による「仮復旧」を検討していた。仮復旧という語は、鉄道の復旧を前提とするが、JR東日本は復旧を明言しなかった。2012年6月の公共交通確保会議で公式にBRTによる仮復旧が提案された。それに対し、地元4市町は、(1)専用道区間が全体の2割弱と短いなど現状のバス代替輸送と変わらない、(2)鉄路をなくすこと自体、鉄道復旧の支障になる、などと反対した。 2012年5月の段階で、気仙沼線では国と沿線自治体、JR東日本がBRTの導入に合意しており、また同10月には大船渡線でのBRT受け入れが表明されていた。翌2013年9月に、JR東日本は再びBRT導入の提案をした。今回の提案は専用区間を5割弱まで延ばすという内容であったが、この案に対しても、地元4市町は拒絶した。 2014年1月の復興調整会議で、JR東日本から三陸鉄道への移管案が提示された。それが11月の三陸鉄道とJR山田線の関係者全員がそろう復旧に係る沿岸市町村首長会議で受け入れられた。 費用については2012年の段階で試算されており、復旧費140億円、線路の嵩上げなどの費用70億円とされ、前者についてはJR東日本が負担するが、後者については国の補助を訴えた。だが、JR東日本への補助は現在の法制では難しい。鉄道軌道整備法には、災害復旧に関する補助の要件として、「鉄道事業者がその資力のみによつては当該災害復旧事業を施行することが著しく困難であると認めるとき」(第8条)とされている。さらに鉄道軌道整備法施行規則第15条の3第3項では、①復旧費が年間路線収入の10%以上、②経営が2年間赤字又は災害年以降5年間の赤字が確実視される、という条件が明記されている。 この問題は、嵩上げなど70億円は復興のための工事であり、JR東日本の鉄道復旧と切り離して、自治体の工事としてそこに復興資金を投入するという考え方で決着がついた。宮古市は2013年5月の段階で復興交付金を申請したが、復興庁の回答は、「山田線が復旧しなかったら無駄になるので、鉄道復旧が決まらないうちは認められない」というものであった。その段階では、JR東日本は「山田線を鉄道として復旧させる」と明言していなかった。前述の通り、2014年になって三陸鉄道移管案が合意され、鉄道の復旧が確実となり、復興交付金が認められることになった。こうした複雑な交渉過程が復興を遅らせ、鉄道の復旧を遅らせた要因であった。 三陸鉄道への山田線の移管は、三陸鉄道としての統一的な運行管理が行われることなり、地元は歓迎していると思われるが、逆に言えば鉄道を維持するためのコストが自治体の負担に転嫁されることになる。JR東日本は30億円を拠出することになったが、地域の公共交通をどのように維持するのか、今後も議論は続けられることになる。
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(むとう ひろみ 法政大学公共政策研究科教授)
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