地方自治総合研究所

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月刊『自治総研』

2013年6月のコラム

行政追認型の司法審査への警鐘

  最高裁(第三小法廷)は4月16日、熊本県に水俣病の認定を求めた二つの訴訟で水俣病認定のあり方について注目すべき新たな判断を下している。行政庁の水俣病認定処分の裁量性を否定するとともにその適否の判断について実体的判断に踏み込んで行う審理方式を採用したからである。このような審理方式を採用して水俣病と認めた2審・福岡高裁判決は支持されて県の上告は棄却され、従来の審理方式(後述)により水俣病と認めなかった2審・大阪高裁判決は破棄され審理は同高裁に差し戻された(本控訴は取り下げられた)。

 ところで1960年代に確認された水俣病をはじめとする公害の深刻化から、公害被害者の救済は、「公害に係わる健康被害の救済に関する特別措置法(昭和44年法律第90号)」(現行法は「公害健康被害の補償等に関する法律」)が制定され、その認定基準は政省令や運用指針(「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法の認定について」昭和46年環境庁<当時>事務次官通知)等として示されており(「基準設定」)、この基準に基づき都道府県知事等が認定審査会の答申を得た上で認定を行うこととなっている(行政の判断過程)。

 これらの認定基準を見ると、その認定については「高度の学識と経験に基づき総合的に検討する必要がある」とした上で、通常その者の症候が水俣病の範囲に含めて考えられる判断条件として4条件が定められていた。そしてこの認定行為は行政の裁量に委ねられていると解され、これらの4条件のいずれかに該当する典型的事例については水俣病として認定し、条件該当性が不明確な事例については必ずしも個別的に「総合的検討」をすることもなく認定を認めてこなかったのである。

 従来、高度に専門的な知見に基づく判断が伴う事項について行政庁の行う基準設定や裁量処分の適否をめぐる裁判所の審理のあり方について、判例・通説は、判断基準の設定や認定過程の調査・審議が、本件の場合で言えば医学的研究状況や医学界における一般的定説的な医学的知見に照らして不合理な点があるか、審査・判断に過誤・欠落があってこれに依拠してなされた行政庁の判断に不合理な点があるか否かの点から行えば足りると解してきた。裁判所が、第三者的立場に立って、行政の判断過程や手続過程の合理性を審査すれば足りるとする、いわゆる「実体的判断過程統制審査方式」である。これに対し、本判決は、「(水俣病の)認定自体は、……水俣病のり患の有無という現在又は過去の確定した客観的事実を確認する行為であって、この点に関する処分行政庁の判断はその裁量に委ねられるべき性質のものではない……」としてその裁量性を否定するとともに、「処分行政庁の判断の適否に関する裁判所の審理及び判断は、……(前掲<「実体的判断過程統制審査方式」>のような ― 引用者)観点から行われるべきものではなく、裁判所において、経験則に照らして個々の事案における諸般の事情と関係証拠を総合的に検討し、個々の具体的な症候と原因物質との間の個別的な因果関係の有無等を審理の対象として、……個別具体的に判断すべきものと解するのが相当である。」(判決13頁)とし、裁判所が実体判断に踏み込むことを認める新判断を示している。裁判所が処分庁の立場に立って審査をやり直し、その結果裁判所・行政両者の判断が一致しない場合は、裁判所の判断が優先し当該処分は取り消されるとする、いわゆる「実体的判断代置方式」である。

 
これまで裁判所は、高度に専門的判断が求められる事案について、実体判断に踏み込んで判断することには謙抑的であった。それは、裁判所は高度に専門的な事案をめぐる処分の適否を判断することは実際上困難であり、専門家を集めて検討して判断基準を定めそれに基づいて判断した行政過程を尊重すべきとする考え方に依拠していると思われる。しかし、裁判所は、裁判で専門的知見の科学的優劣を裁くのではない。当事者双方が主張・立証する専門的争点につき、いずれの主張・立証がより合理的で説得的かを判断すればよいのである(筆者はかねてから同様の指摘をしてきた。拙稿「原子炉設置許可の裁量処分性」判時891号<1978>、「食品・薬品公害をめぐる国の責任(1)(2)(3)」法時51巻4、7、10号<1979>、「環境・公害訴訟」公法研究41号<1979>)。本判決が水俣病認定行為の裁量性を否定し、行政の判断過程だけでなく、経験則に照らして関係証拠を総合的に検討して症候と原因物質との間の因果関係の有無等を審理の対象とするとの判断を示したことの意義は大きい。原発事故等で経験したように許認可基準それ自体や行政処分の実体にまで踏み込んだ適否の判断が要請される事例が増えつつあることやこれまでこのような分野の判決には行政追認型のものが多かったことへの警鐘ともなるからである。

さとう ひでたけ 早稲田大学名誉教授)