2008年3月のコラム
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コミュニティ断章 |
辻山 幸宣 |
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日がたつにつれて話題性も低下して口の端に上らなくなったことのひとつに「コミュニティ基本法」がある。仄聞するところによると、この通常国会にも提出して可決をめざす動きが自民党内にあるという。また、総務省に設置されたコミュニティ研究会も2007年6月に「中間とりまとめ」を行った。1969年に国民生活審議会のコミュニティ問題小委員会報告がだされ、1971年から自治省(当時)の「モデル・コミュニティ政策」が全国的に展開された。あれはもう40年近くも前のことになる。いま、再びコミュニティが行政課題になっているのはなぜだろうか。いま、コミュニティが政治課題になっているのはなぜだろうか。その問題意識と提案されている方向性を検討する。 ところで、先の「モデル・コミュニティ政策」とは何だったのだろうか。「しらじらとして誰も寄りつかないコミュニティ・センター、温かな人間味にあふれ、活気に満ちたコミュニティ・センター、その両極の中間に全国1万のコミュニティ・センターがある」と喝破したように、自治省の「モデル・コミュニティ事業は、もっぱらコミュニティ施設の建設に収斂」したのである(倉沢進『地方自治政策Ⅱ 自治体・住民・地域社会』日本放送出版協会、2002年、第1章)。だが、そもそも国民生活審議会が抱いた問題意識は次のようなものであったという。それは、高度経済成長にともなって起きた、自由だが孤立する都市住民の暮らす都市部と、人口流出で共同体機能の維持が困難になった過疎地において、ともに生じた地域での新しい協力の必要性であった(佐藤竺『日本の自治と行政(下)』敬文堂、2007年、第3章参照)。だが、武蔵野市・三鷹市など一部には施設の管理運営を通じて、自律的なコミュニティの形成へと結実していった地域がある一方、多くは先の指摘のようにコミュニティ・センター建設に終始したといってよい状況であった。 さて、本題に戻って。なぜ、それから40年近くたったいま、再び「コミュニティ」なのであろうか。 自民党地方行政調査会がコミュニティに着目したのはなぜか。会長の太田誠一衆議院議員はみずからのホームページで「仕事をしてお金を稼ぐという営みはあくまでも『私』であって、『公』ではありません。……税を負担し、選挙の投票に行くことは、『公』の中の制度化した部分といえます」とのべ、少なからず政治へのこだわりを見せている。だが、コミュニティへのてこ入れが自民党への共感につながるためには、媒介装置が必要だ。 太田氏は先の参議院選挙に先立ち、調査会報告「地域社会の再生に向けて ― パブリックマインドの蘇生のために」を携えて安倍晋三首相(当時)のもとにおもむき、自民党マニフェストに「コミュニティ基本法」の制定を盛り込むよう進言した。自著『美しい国へ』(文春新書、2006年)で、「だれでも自分の住む地域をよくしたいと願う。ましてそこが自分の故郷だったら、なおさらのことそう思う。またそれは自分の国に対する思いにつながる」とのべているとおり、安倍氏の“美しさ”は“国を愛する”ことに通じている。その安倍氏が「コミュニティ基本法」の制定をマニフェストに加えることに躊躇はなかったはずである。彼らは、コミュニティの問題を通して、安倍晋三的な国と国民の関係を目指していくことを問いかけているのだと思う。地域コミュニティと自治体行政を見る視点にこの問題を据えておかなければなるまい。 「地元本部区の公役がありました。 川古川・松浦川の河川敷きの草払いです。 ざっと2キロほどでしょうか! 私も草刈機でシャリシャリ!! 区民による共同作業! 休憩時には、地べたに座りながら缶コーヒーを飲んで雑談。 年配の方が昔の話をしてくれる。 そして又一緒に汗を流す。 公民館でご苦労さん会! 陽気なひと時……てんぷら・ちくわが美味い!! ビールも美味そう。 コミュニティーはこのようにして維持されていきます。」(武雄市 牟田勝浩さんのブログ) そうなのだ、たしかに地域はこうでなくちゃ、と思う一方で、「変な自治会、常会、消防団、お宮さん、五軒組みのようなしきたりの押し付けが雇用と並んで過疎の大きな原因と考えられます。現代の生活環境をよく考えて改善すべきところは改善して、無くすべきは無くしていかないととても住みにくい所になってしまいます」という若い世代の声も気になる。個々人と地域の関係も多様だ。 「コミュニティ活動基本法」(参照136ページ)と名称を変えて提出が予定されている法案は、政府に頼るだけではなく、住民たちの協力を通じた連帯の社会を築いていくという願いとは、似て非なるものだということをあきらかにする作業が必要だ。 |
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(つじやま たかのぶ・(財)地方自治総合研究所所長) |
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