地方自治総合研究所

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月刊『自治総研』

2007年10月のコラム

念願だった大潟村の現地調査

 自治総研のプロジェクト「まちづくり検証研究」で、仲間とともに秋田県の大潟村に出かけた。総研セミナーの翌日から2泊3日の旅程である。濃密なスケジュールで疲れたが、収穫の多い現地調査であった。これからまだ補充調査もやらなければならない。

 私にとって、八郎潟干拓から生まれた大潟村への関心はずいぶん前からのものである。1996年の夏、北海道池田町・十勝川温泉で開かれた「新世代フォーラム」(各県自治研究センター・研究所若手研究員の集まり)の記録、『行政学のパースペクティブ』の最後の部分で、「自治総研と関係するようになって、ころあいをみてやってみたいと考えたことで実現していないことがいくつかある」と述べ、そのひとつの具体例として大潟村調査を挙げたことがある。

 
「以前から考えていることであるが、大潟村にしばらく滞在して、といっても宿泊施設がないので、近くの市街から通わなければならないが、その自治体づくりと住民ぐるみの自治体運営の実際を『運動としての地方自治』という観点から、書物にまとめてみたいと思っている。……国の農政の揺らぎやそれに伴い発生したいくつかの事件を織りまぜて、住民の考え方の違いとか相互の対立が村政のなかにどのように反映しているのか、また、同じスタートラインから出発しながら、世代交代を通じて人びとの生活がどのように変わっていったのか、大潟村において地方自治とは何であったのか、そういったことを描き出してみたいというわけである。」

 このように記してからすでに10年の歳月が流れている。宿泊施設がない、というのは当時の記述としても不正確で、今日ではモダンな宿泊施設もあるから、そこに腰を据えてかかることもできる。しかし現実にはその余裕も生まれないし、今となっては、単独で一冊の書物をまとめるエネルギーも残っていそうにない。さて、それならどうしたらよいのか、どんな調査報告にするのか。帰路の飛行機の中でも、また帰ってきてからも、そのことがずっと気にかかっている。

 いまさら指摘するまでもないことながら、大潟村はわが国の自治体形成において特異なケースのひとつである。同村設置の根拠法は、東京オリンピック開催の数ヵ月前に公布された「大規模な公有水面の埋立てに伴う村の設置に係る地方自治法等の特例に関する法律」であり、同法が定める「村の設置の特例」として、1964年10月1日に大潟村は設置された。そればかりか、同法の規定に基づき住民の選挙による任期2年の村長と村議会議員の「設置選挙」が行われたのは、それから12年後の1976年になってからで、しかも地方自治法の規定による任期4年の一般選挙が行われるようになったのは、それからさらに4年後の1980年のことであった。そしてなお付け加えるならば、いわゆる「平成の大合併」の中で大潟村は、周辺自治体との合併をしない「自立の道」を選択した。現在は、第1次分権改革一括法の施行後まもなく誕生した女性村長のもとで策定された「第3次大潟村振興計画」に基づいて、「新たな村づくりへの挑戦」を行っている最中である。

 かつて述べたように、ことさら「運動としての地方自治」などと振りかぶらなくとも、この経緯をたんたんとたどるだけでも大いに意義があるのではないか。まだ調査研究チームにおいて十分な意見交換をやっているわけではないが、古書店から購入した文献資料を開きながら現地でお会いした人たちの語り口を思い出し、そんなふうに感じているこのごろである。

いまむら つなお・中央大学教授)