地方自治総合研究所

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月刊『自治総研』

2006年2月のコラム

戦後政治の転換と地方自治

辻山 幸宣

 

 2005年9月11日投票の衆議院総選挙の結果をめぐって、さまざまな観点からの議論がたたかわされている。東大蒲島研究室と朝日新聞との共同企画による候補者の政策位置に関する調査は、「日本型システム」の評価を指標として採用してきた。「日本型システム」とは、①終身雇用の堅持、②公共事業による雇用の確保、③景気対策のための財政出動をいう。山口二郎氏のいい方では「再分配型政治」または批判を込めての「日本型社会民主主義」ということになる。このシステムを維持する意欲が強いのは、社民党、共産党、そして郵政民営化反対派であることが、調査結果から明らかにされている(朝日2005年8月31日朝)。そして、周知のように小泉自民党はこのような戦後を通じた「日本型システム」の信奉者を放逐して、この国の政策軸を大きく転換することを目標に先の総選挙を設計した。結果は思惑通りのものであった。

 この選挙の結果が示すことは、多様に論じられている。いわく「格差社会」への危惧と「不安」への反応、いわく「都市中間層の生き残り行動」、いわく「とにかく構造改革」などなどである。果たして、有権者は郵政民営化支持を通じて「日本型システム」の放棄に同意したのであろうか。だが、選挙後の組閣で述べられた竹中総務相の「私の努めは小さな政府担当大臣」発言にみられるような「小さくて効率的な政府」への道が宣言された。この内容は、政策金融機関の整理統合、特別会計の2分の1~3分の1程度への縮小、公務員の数・給与の削減、独立行政法人の非公務員化、政府資産の売却、公共サービスの民営化、公益法人制度改革など、いわゆる政府サービスと政府機能からの撤退が中心である。自治体もまた、この路線を選択して「小さな地方政府」を目指すことになるのだろうか。

 上でみたような、なりふりかまわぬ「小さな政府」路線に対して危惧の念が表明され、「ほどよい政府」(神野直彦)や「市民社会民主主義」(山口・宮本・小川)などを議論すべしとの理論環境も登場している。まさに「この国の進むべき道」についての議論が避けて通れない事態になった。さて、「ほどよい政府」にせよ「市民社会民主主義」にせよ、「小さくない政府」体制のもとで、地方自治をどう位置づけるかが次の問題である。そのような体制における地方自治の役割と課題はどのようなものであるかについての検討が必要である。たとえば社会の変化にともなって生ずる新たなニーズへの対応や、個々人がその能力を伸ばすための教育機会の充足などに、当事者たちに近い政府で受け止めるしくみが必要とされる(宮本太郎)。

 一方で、それが「擬似的福祉国家」であれ、戦後を通じて維持されてきた「日本型システム」は、地方を重視し、地域格差を広げないことを政策目標にしてきた。それは、ナショナル・ミニマムの設定と集権的な執行体制によって可能であったという側面がある。地方自治はその体制のもとで、機関委任事務制度と補助金行政そしてさまざまな組織・職員の必置規制にしばられてきた。それを改革しようとしたのが地方分権改革であったし、同時に地元利益誘導型の政治に依存しない地域づくりが目指されたはずであった。

 戦後型政治の否定の上に構築される新自由主義的な国家像は許さない、しかも再分配型政治への回帰ではない社会体制をいかに構想するか、そのなかに地方自治はどう位置づくか、課題は大きい。

 「そこで働いている首長はもとより、職員の一人ひとりに責任がある。人々の暮らしに直接かかわる行政には、この市や町や村のビジョンを具体的に語り、議論し、実現していく役割がある。今日、その全体像を描けるのは、地域レベルの行政しかない。いま、必死でそれを考え、つくりださないと、どの市町村も萎え、荒み、死んでいくだろう。それはもう確実にはじまっている」(吉岡忍「奇跡を起こした村のはなし」より)。


(つじやま たかのぶ・地方自治総合研究所主任研究員・研究理事)