「骨太の方針」第5弾となる「経済財政運営と構造改革に関する基本方針
2005」において、「小さくて効率的な政府」の実現が新たな課題として掲げられた。それは、いわゆる構造改革の進展によって「バブル後」を抜け出したわが国にとって、「高齢化の本格化がもたらす高負担圧力とともに、国民負担の増加をめぐる議論はいずれも避けられない。その前に、政府自らが身を切り、効率化を図ることが不可欠である」との状況認識にもとづくものであった。
それから間もなく 2005年版の「経済財政白書」が公表となった。これも「経済財政白書」となってから数えて5回目であり、その副題は「改革なくして成長なし
Ⅴ 」である。3章構成からなる白書の第2章は「官から民へ ― 政府部門の再構築とその課題」と題され、約 100ページがそれに割かれている。その分量からも察せられるように、政府の「小さな政府」路線にかんする最も詳細な公式文書といってよい。
しかし、「骨太の方針」や「経済財政白書」よりも、多くの国民が「小さな政府」に向けた政権の舵取りを肌身で感じたのは、郵政民営化で争われた9・
11総選挙の結果であったのではないだろうか。そこまで本当に意図されていたかどうかはともかくとして、結果からみると、ほかならぬ国民自身に郵政民営化の是非を直接問うことによって、まるで政権の「小さな政府」路線にたいする政治的信任を得ようと目論んだかのように見える。そうだとすると、まさしく、してやられたということになろう。
その後の動きは急を告げている。総選挙のほとぼりがさめないうちに、「市場化テスト」導入のための「公共サービス効率化法案」を通常国会に上程予定である旨の方針が伝えられたことにくわえて、いったんは挫折したかに見えた公務員制度改革の動きが再始動し、なかでも公務員定員と総人件費の削減に向けて具体的な取り組みが開始された。その影響が
400万公務員の4分の3を占める地方公務員に及ばないはずもない。行政サービスのなかで私たちの日常生活にかかわる大半のサービスは地方自治体によって担われているのであり、政府規模の縮減を本気になって考えるならば、自治体職員とその行政組織がそのターゲットになるであろうことは必定だからである。
それにしても、「小さな政府」論を唱える人々は、
20世紀初頭の「大社会」の出現どころではない現代の「超大社会」において、政府公共部門が果たすべき役割をどのように想定しているのだろうか。また、「官から民へ」と並んで「国から地方へ」をいうとき、将来の地域社会、地方自治体について、いったいどんなイメージを描いているのだろうか。経営学のH.ミンツバーグはかつて、経済学者の多くが信奉する「仮想政府モデル」を揶揄したことがあるが、「小さな政府」論の行き着く先はそんなものなのかもしれない。「少しでも切り捨てられそうなものはすべて切り捨てろ」というのである。そこにはいかなる地域社会の具体的なイメージも、したがってまた、それぞれの地域に根ざした多様な自治体のイメージも成り立ちえない。おそらくは、索漠とした業績コントロールの連立方程式しか念頭に置かれていないにちがいないのである。