地方自治総合研究所

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月刊『自治総研』

2004年10月のコラム

植木枝盛「日本国国憲案」の「日本連邦」構想を思う

田中 義孝

 政界では憲法改正の動きが急であり、分権論議は久しく封印されていたと思われる道州制論を呼び起こし、連邦制まで語られるようになっている。道州制は、これを日本国憲法第8章各条にいう「地方公共団体」と位置づけることで改憲論議の対象外ということになろうが、連邦制は、改憲論議の対象となろう。あるいは、連邦制をとるためには憲法改正が必要だということで、憲法改正(=改悪)の口実とされ、連邦制それ自体は置き去りにされることとなるように思われる。

 そうならないためには、植木枝盛の「日本国国憲案」(1881<明治14>年8月起草)の“連邦制”のように徹底した国家構想が必要であるだろう。

 江村栄一『日本近代思想大系9 憲法構想』(岩波書店、1989年)によれば、「民権派憲法構想の頂点に立つと評価されいる」この『日本国国憲案』は、「基本的人権に最高の価値を与え、国家といえどもこれを侵すことはできないとした」(同書477頁・解説)もので、その徹底ぶりは、「日本人民」の抵抗権(第71条)、革命権(第72条)を規定したところに示されている(同書188頁)。なによりも、「日本国 ハ 日本国憲法 ニ テ 之 ヲ 立 テ 之 ヲ 持 ス 」(第1条)のであり、そのため“連邦国家”を構想するのである。すなわち、「日本武蔵州」以下「琉球州」にいたる70州を「連合 シテ 日本連邦 トナス 」(第7条)。これらの州は、古来の国郡制の「国」であるが、備前、備後、河内、丹波は記載がないし、また北海道も除外されている(北海道11ヵ国を含めて当時85ヵ国があったとされる。青木美智男「地域文化の形成」『岩波講座 日本通史第15巻』所収、258頁による)。

 「日本連邦 ハ 日本各州 ニ 対 シ 其 ノ 州 ノ 自由独立 ヲ 保護 スルヲ 主 トスベシ 」(第9条)とされ、「日本連邦 ハ 日本各州 ニ 対 シテ 其一州内各自 ノ 事件 ニ 干渉 スルヲ 得 ズ 、其州内郡邑等 ノ 定制 ニ 干渉 スルヲ 得 ズ 」(第 13条)なのである。また、「日本連邦 ハ 日本各州 ノ 土地 ヲ 奪 フヲ 得 ズ 、其州 ノ テ 諾 スルニ 非 ザレバ 一州 ヲモ 廃 スルヲ 得 ズ 」(第 14条)、「憲法 ニ 非 ザレバ 、日本諸州 ヲ 合割 スルヲ 得 ズ 、諸州 ノ 境界 ヲ 変 ズルヲ 得 ズ 」(第 15条)であるが、「二州以上協議 ヲ 以 テ 」境界変更と合併をなすことはできるとされた(第 38条)。領域主権を認めたものである。なお、「日本国内 ニ 於 テ 新 タニ 州 ヲ 為 スニ 就 テ 日本連邦 ニ 合 セントスル 者 アルトキハ 、連邦 ハ 之 ヲ 妨 グルヲ 得 ズ 」(第 16条)であるから、「新 タニ 州 ヲ 為 ス 」者が何者であるかは明記されていないが、この場合および第 38条による自主合併があったときは、第7条の州名列挙の定めは改正されることとなるであろう。

 もちろん、この国憲案は採用されなかった。今日的にも実現されるとは思われないが、分権時代の日本の国家構想として考えてみるには値すると思われる。なお、この州は「護郷兵」(第35条)と「常備兵」(第36条)を置くことができるとされていたこともつけ加えておく。

(たなか よしたか・ 地方自治総合研究所非常勤研究員 )