地方自治総合研究所

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月刊『自治総研』

2003年4月のコラム

“自然村(しぜんそん) ”雑記
田中 義孝
 近来、分権改革の進行と市町村合併の動きのなかで、“自然村(しぜんそん)”という言葉を見聞する機会がままある。この言葉はさまざまに語られているようであるが、この言葉を学問上の概念として確立したのは、鈴木栄太郎『日本農村社会学原理』(1940年)であった。それは、明治22年の町村制によって成立した“行政村”に対峙して提示された概念で、範域としては、近世以来「農漁民が生活の原理にもとづいて構成したムラ」「歴史的に変遷してきた政治的な統治制度の背後に隠れている自然村」というように、社会学ではとらえられているようである(『日本村落史講座1総論』213頁注4および208頁。執筆者:鳥越晧之)。そこでは、「このような理念型的な、そして社会学的な論理のたて方は、歴史家の多くによって否定されるかもしれないが、ひとつの意味のある考え方としては成立すると思う。」(太字:原著者)と述べられる(同208頁)。
たしかに、歴史学の方面では“自然村”という概念は用いられないようで、たとえば、「近世における柴原郷三ヵ村は、それぞれが独立した集落と村域を持ち、行政村としてのみならず、生活村としても各々が一つずつの世界を構成していた。」(水本邦彦『近世郷村自治と行政』38頁)というように、“行政村”に対峙するのは“生活村”である。
明治22年の町村制で成立した「明治の村は旧村を数箇程度含む行政村であり、これによって江戸時代の村内は行政単位としての実質を失い、明治の村内部の大字(おおあざ)となり、旧村内の微小地域(分・組・小名(こな)・坪・庭等々の名で呼ばれるもの― 引用者)は大体において小字(こあざ)となった。」(木村礎・上掲『村落史講座』書12頁)のである。鈴木栄太郎の“自然村”は、この大字(おおあざ)に相当する“村落”である。
思えば、大久保利通の明治11年の建議には「府県郡市ハ行政ノ区画タルト住民社会独立ノ区画タルトニ種ノ性質ヲ有セシメ、村町ハ住民社会独立ノ区画タル一種ノ性質ノミヲ有セシメ」とあった。また、大正10年の郡制廃止理由(内務省参考書所収)では、「抑々自治団体ノ進展ハ一ニ自治精神ノ発揮ニ待タサルヘカラス、之カ構成分子タル住民自ラ一(いつ)ノ団体ヲ結ヒ、相互扶助スルノ意識ヲ以テ活動セントスルノ念ナクンハ、到底其ノ隆昌ヲ期シウヘキニアラス、然ルニ我国ノ自治団体ヲ顧ミルニ、其ノ単位タル町村ハ住民ノ自然的結合ニシテ、根柢鞏固二、自治心亦旺盛」と述べられている(藤井松一ほか編『日本近代国家と民衆運動』197頁、山中永之佑氏の紹介するところ)。
地方制度調査会副会長・西尾勝氏の「自然村をつくり直す」という意気込み(『ガバンナス』2003年1月号26頁)の照準するところも、ほの見えてくるか。
(たなか よしたか・地方自治総合研究所非常勤研究員)