地方自治総合研究所

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月刊『自治総研』

2002年8月のコラム

失職の選択はスジ違い?
 長野県の田中康夫知事が県議会の不信任決議により失職した。就任後2年足らずで、圧倒的多数(議員数60人、出席議員49 人中44 人の賛成)による不信任である。新聞・テレビでは、かねて田中知事が行った「脱ダム宣言」をいよいよ実施に移す計画を明らかにしたことをうけての、それに対する議会側の反発としていっせいに報じられたが、どうやら、単にそれだけのことではなかったらしい。
田中知事による県政運営のどこが県議会によって問われたのか、なぜ不信任決議だったのか、つぎの知事選挙戦はどのような展開をみせるのか、問題の「脱ダム」計画はどのような結末をみるのか、いろいろな関心が湧いて<る。そのなかで、あらためて考えさせられた識者の反応があった。すなわち、県議会による不信任議決に対する措置として、本来であれば議会解散を採るべきであったとするスジ論がそれである。
そのスジ論によれば、議会で不信任が成立した場合、知事は、自分が民意を反映していないと判断すれば失職を選択し、反対に、民意を反映していないのは議会のほうだと判断すれば、議会を解散するのがスジであって、今度のように、目分が民意を反映していると主張しつつ、議会を解散せずに直後の知事選に再出馬するのは、スジ違いだというのである。補足すれば、失職を選択したのは、ほかならぬ自分が民意に基づいていないと認めたことになるはずなのに、その知事が直後の知事選挙であらためて民意を問うというのは、地方目治法に定められた制度の運用として望ましいとはといえない、ということである。
議会の不信任決議に対して長が議会の解散をもって応ずる。これは議員内閣制において特徴的な制度そのものである。なるほど確かに、わが国の地方自治体における首長主義の構造は、アメリカ合衆国の連邦政府に典型的な大統領制とは異なり、議院内閣制的な仕組みを採り入れている。しかしながら、住民の選挙による政治的意思の表明方法について、長と議会の双方のルートを通じて代表させる「二元代表制」を採用していることも間違いがないところであり、その「二元代表制」のもとでの長の不信任とそれに対する長の対抗措置なのであるから、そこに「一元代表制」下での仕組みを挿入的に適用した現行制度の運用に関して、上記のようなスジ論に依拠し、失職を選択したのはスジ違いと断ずるのもいかがなものであろうか。
そもそも、「二元代表制」のもとでは、長と議会のいずれもが、我こそは民意を反映していると主張し、相互に対抗しあうことが容認されているのであり、たとえ一方の議会が長の不信任を可決したところで、それだけで長の代表牲が否認されるものではない。議会での不信任は、ただちに県民による長(知事)の不信任を意味するわけではなく、そのことの確認をするために、長(知事)が、失職による再選挙を選択したとしても、その選択がスジ違いということにはならない。「一元代表制」のもとであれば議会解散がスジであるにせよ、根本的に構成原理が異なる「二元代表制」にそのスジをそのまま当てはめることが妥当であるのかどうか、そのことを考えてみる必要がありそうである。
いまむら つなお・中央大学教授)