地方自治総合研究所

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月刊『自治総研』

2003年2月のコラム

基礎的自治体の問い直し
 第27次地方制度調査会で「基礎的自治体のあり方」が審議事項の一つに取り上げられ、昨年11月初めの同調査会専門小委員会において、それに関する「西尾私案」が提出されたのをうけて、基礎的自治体とは何かがあらためて問われるようになった。何を今さら、という感じを受けないことはないが、地方自治制度の設計において基礎的自治体をどのように位置づけるかは、やはり等閑視しえない課題であると言わなければならない。
大反響を呼んだ「西尾私案」における基礎的自治体観は、一言でいえば、「自治体経営の観点」をベースとしつつ、そこに「住民自治の観点」の挿入をはかったものと言うことができる。「今後の基礎的自治体は、住民に最も身近な団体として、都道府県に極力依存することのないものとする必要がある。基礎的自治体は、地域の総合的な行政主体として、福祉や教育、まちづくりなど住民に身近な事務を自立的に担っていくことができるようにする必要がある。」これがエッセンスである。現在進行中の市町村合併も、その脈絡で位置づけられる。そして、合併による基礎的自治体の規模拡大に伴って、その内部における住民自治を確保する方策として、内部団体としての性格をもつ自治組織を必要に応じて設置することができるようにすべきではないかとされる。
この「西尾私案」に関する受けとめ方のなかで、驚いたのが、いわば「自生的自治」とでもいうべきものへの人々の熱い思いが根強く残っていることであった。ここで「自生的自治」とは、自分たちの生活現場で、おのずと形成されるべき一定範囲の生活コミュニティにおける自治のことを指している。それは、お仕着せの与えられる自治ではなく、上から、外からの干渉や関与を無用視する自己完結型の自治観である。
都市化と消費社会化の進展によるとめどもない個人主義の浸潤のなかで、このような自治の形成がどこまで可能なのか、また現実的裏付けがあるのか、考えをめぐらせても確たる回答は出てこない。よもや、「明治の大合併」の前の自然村や郷村に対する郷愁が世代を超えてよみがえったわけではあるまい。あるいは、ムラ社会の寄り合いイメージが姿を変えて再生したわけでもあるまい。それらで模範とされた自治観は、「自ずから治まる」自治のそれであっても、「自ら治める」自治のモデルではなかったはずである。
戦後再出発した地方自治において私たちが求めたのは、明らかに「自ら治める」自治の実現であった。しかしそれと同時に、行政区域ごとに仕切られた地方公共団体を地方政府として構成し、単一国家制のもとでの政治・行政単位として、都道府県と並んで市町村を位置づけたのではなかったか。したがって、基礎的自治体の単位を設定する場合も、実は、国はもとより都道府県の存在を暗黙裏に前提にしていたのであり、決して「自生的自治」観におけるような自己完結型の地方自治を想定したものではなかったのである。
私たちの身近にいくつもの「自生的自治」の単位が生まれることは望ましい。しかし、それをもってストレートに基礎的単位とする地方自治制度の設計は、すこぶる困難な課題であることをわきまえておかなければならないであろう。
いまむら つなお・中央大学教授)