地方自治総合研究所

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月刊『自治総研』

2003年8月のコラム

「新しい公共」をめぐって
 地域社会に住む私たちが自分たちの共同の利益にかなうものとして形成し、当事者間での開かれた討論を通じて公共性の中身を充填していく「新しい公共」の観念が提示されてから、すでに何年かが経過した。その「新しい公共」をめぐって、最近、疑念が提起されているようである。
「新しい公共」観念の用法は必ずしも一定していないが、概して自治体行政で使われるそれは、中央省庁が上から設定し認定する〈国家的公共性〉や行政の一存で中身が決定される〈行政的公共性〉とは異なり、私たち自身がその必要性を認めて、市民参画の手続きを経て形成される。その限りでは、〈国家的公共性〉や〈行政的公共性〉に対峙される〈市民的公共性〉と重なり合う部分を有している。
しかし、「新しい公共」は〈市民的公共性〉そのものではない。西欧社会に伝統的な「国家」と「社会」の二元図式にしたがって〈市民的公共性〉の源泉を位置づけるなら、その源泉は「国家」の側ではなしに「社会」の側に属する。国家の政府機構を捨象した市民社会の中で暮らす生活者のニーズに根ざしている。その意味で「非国家」(ノン・ステート)であることが〈市民的公共性〉の第一要件である。そのうえでさらに「非市場」(ノン・マーケット)であることが加わる。私たちの市民社会は市場社会でもあるが、市場メカニズムによる部分を除いた市民生活において形成されるのが本来的な〈市民的公共性〉だとする。これが第二要件である。
これに対して「新しい公共」は、〈市民的公共性〉からスタートしながらも、地方自治体を含む国家政府機構をらち外に置くことはしない。また、市場社会に登場する企業や各種の事業体についても、はなから無関係な主体として取り扱うこともしない。具体的な例でいえば、介護保険を自らの事務として管理運営する自治体行政組織や、たとえ株式会社形態をとっている福祉事業者であっても、それらを排除してしまうことはない。むしろ、市民や市民的活動団体、行政機関、民間事業者のリンケージを重視する。排除するのではなく、相互に連携し、協働関係を取り結ぶのである。「新しい公共」の新しさはここにあるというべきである。
ところが最近、それは結局のところ、行政のスリム化を推し進めるための戦略にすぎないのではないか、といった疑念がぶつけられはじめた。すなわち、民間とのパートナーシップの美名のもとに行政のアウトソーシングを促進し、市場メカニズムの導入により公共性の稀薄化を促すものであって、それは、NPMの日本版でしかないのではないか。もしかすると、〈市民的公共性〉の犠牲のうえに成り立つ、行革路線のあだ花であるのかもしれない。こういった類の疑念である。
思うに、この種の誤解を解きほぐすには、「新しい公共」の担い手となる当事者間での文字通り開かれた討論を徹底して実践することを通じて、その理念を具現化した多彩な新しい公共的管理(規制)のルールを形成するしかないのではないだろうか。これも、「言うは易く行うは難し」の例である。
いまむら つなお・中央大学教授)