地方自治総合研究所

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月刊『自治総研』

2004年9月のコラム

「地方の時代」の再来のために-地方六団体の役割を問う-

辻山 幸宣

 「地方の時代」が叫ばれたのは1980年代のことであった。「地方の時代」の提唱者は長洲一二神奈川県知事(当時)だとされている。1978年7月に首都圏地方自治研究会(東京都・埼玉県・神奈川県・横浜市・川崎市)主催の「『地方の時代』シンポジウム」が開催され、長洲氏がその基調報告を行ったことに由来する。この報告において氏は、1970年代に革新自治体が果たした役割として①人間と福祉優先の先導的な施策の推進、②自治体レベルにおける革新の統治能力の実証、③地域民主主義の提起と実践をあげ、この成果の上に第2段階として「地方の時代」の構築を提唱した。その内容は、社会・経済・文化の創造のあり方を地域の視点からとらえることによって、「委任型中央集権」から「参加型地方分権」に転換していくことであった(「国民自治年鑑」1980年版)。「地方の時代」は、革新自治体における政策革新と参加型民主主義のシステム化、すなわち「自治体革新」をその戦略としていたといってよい。

 それから4半世紀を経た2004年8月24日、地方六団体が小泉内閣の唱導する「三位一体の改革」の中心部分をなす国庫補助負担金の削減案をまとめて小泉首相に手渡した。手渡し式自体は、従来から毎年繰り返されてきた要望行動と変わらないものであった。だが、そこには大きな変化があった。それは、国・地方に関わる重要政策を地方サイドでまとめるというまったく新たな局面を迎えたということである。かつて「革新自治体」による「自治体革新」を戦略とした「地方の時代」が提唱されたが、いま私たちの眼前にはさらに深化した「地方の時代」の幕が上がろうとする情景がある。

 ことの発端は本年6月4日の「基本方針2004」の閣議決定にある。2004年度から「三位一体の改革」に着手した小泉内閣は、補助・負担金の削減費目、税源移譲の税目等をめぐって政府内の意思統一に困難を極めている。2年目の2005年度予算をめぐっては、総務・財務の対立、委譲が取りざたされる義務教育国庫負担金への文科省の危機感など、族議員を巻き込んだ収集のつかない混乱が予想された。このような事態への一定の回答が「基本方針2004」に求められた。そして、選択されたのが以下の方針であった。

 「税源移譲は概ね3兆円規模を目指す。その前提として地方公共団体に対して、国庫補助負担金改革の具体案を取りまとめるよう要請し、これを踏まえ検討する」。

 この閣議決定は、国の各省庁間の政策調整を自治体側の意見を背景に押し切ろうとする小泉首相一流の発想からでたものであるが、地方の側が都道府県・市町村の利害の違いや都市部と農村部の事情の違いを超えて政策調整するという新しい局面を拓くものという意義がある。マスコミの多くもこの意義に注目して「かけ声の割には進まない地方分権に風穴を開ける絶好のチャンス」(7月26日、中国新聞社説)、「陳情団体から政策提案集団へ」(8月21日、東奥日報社説)と報道した。

 だが、別のところで指摘したように(自治日報8月13・20日号「自治」欄)、閣議決定にある「地方公共団体に対して……要請する」とはどういうことなのか。現実問題としては、いわゆる「地方六団体」がこれを受け止めることに異論はあるまい。だが、「地方六団体」という団体は存在していない。しかも6つのそれぞれの団体は「各都道府県間の連絡提携」(全国知事会規約)を目的としており、地方公共団体としての意見を代表する組織ではない。

 今回、全国知事会が中心になって兎にも角にも「国庫補助負担金等に関する改革案」をとりまとめたことは評価に値しよう。市長会や町村会との調整にどれだけの配慮がなされたか、どのような場において調整がなされたのか明らかにされていないが、事務局の大きな力があったと聞く。いま、地方六団体は6つの団体の総称としてではなく、国のレベルでの調整不能な地域政策や地方に関わる立法の提案を行いうる「自治体会議」として再出発する時がきているのではないか。その際には、木佐茂男氏が紹介しているドイツにおける自治体連合組織の役割(『豊かさを生む地方自治-ドイツを歩いて考える』日本評論社、1996年)が参考になるであろう。

(つじやま たかのぶ・地方自治総合研究所主任研究員・研究理事)