地方自治総合研究所

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月刊『自治総研』

2005年3月のコラム

地域社会の自治と地方自治-自治労の自治研活動への期待-

田中 義孝

 1938(昭和13)年、水野錬太郎は、1888(明治21)年の町村合併にふれてつぎのように書いた(「自治制施行50年の回顧と地方自治の諸問題」『都市問題』4月号5~6頁)。

 「現今の町村なるものは、主として行政上の便宜を基礎として其の区域を定められたるもので、内部的精神的なる要求に依って自然発生的に成立したところの社会共同体の区域とは必ずしも一致して居ない。」「隣保団結の人格的要求によりて自ら成立したところの自治社会の単位は、現今の町村ではなくして、却って旧時の村であったところの部落である。即ちこの部落こそ本来の自治社会の単位であるのである。自治制の施行に当りて、余りに行政上の便宜、若くは其の経済的資力等に捉はれて、多年の沿革を有し、且つ自然的な自治社会の単位であった部落を忘れ、之を統一せんが爲に極力努力をしたことは、其の努力に対しては、敬意を表すべきも、町村紛糾の種ともなった。然るに輓近、行政上及び財政上の要求より町村の区域が益々拡大せられて、町村が愈々其の隣保団結的の結合体たる実を失はんとしつつあるに鑑み、又一つには農村の経済更生の必要上から、再び部落に関する認識が新たにせられ、部落を以て自治生活の単位たらしめんとし、若くは之に或る程度の自治権を与ふべきであるとの議論が生ずるに至り部落法制定の議すら起るに至った。」(旧字は改めた)この「議」について、水野は、農村地方においては「あらゆる方面より見て頗る必要のことである。」という。地方自治制の批評としては、今日の市町村合併、地方自治法改正についても当てはまるといえないか。

 そもそも、地方自治とは、地域社会の人びとの自治を国政上の装置、地方統治機構へと転態せしめるために用いられた概念であって、それ故、戦前はもちろん戦後においても近年まで、官治的自治行政もまた地方自治なのだという認識が、実務上も学説上も罷り通っていたのだといえよう。

 今次分権改革で求められたものは、この認識を吹き飛ばし、地域社会の人びとの自治を確かなものにすることではなかったかと思う。

 思えば、地方自治総合研究所を発起した全日本自治団体労働組合(自治労)は、1954年の結成以来、「地方自治の民主的確立」を掲げ、「地方自治を住民の手に」という目標を立てて地方自治研究活動をつづけてきたのであるが、それはまさに、地域社会の人びとの自治の確立をめざす運動であったと思う。ただ、そのさい、自分たちが閉鎖的な官僚機構に組込まれており、また労働組合という利益集団であることへの自覚が十分だったかどうか、往年の担当者のひとりとして、深く反省しているところである。ある種の自己解体的な再出発が必要であるように思う。自治労の自治研活動は、住民運動・市民運動から見放されるという指摘があったのは1968年頃のことであった。いま、市民・住民が自治体労働者に求めているのはなにかを見極めた活動を期待したい。

(たなか よしたか・地方自治総合研究所非常勤研究員)