2006年8月のコラム
市民が担う地域政策 |
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地域政策という言葉でなにを連想するだろうか。少し前、20世紀の終わりごろまでは地域政策という言葉でまず思い浮かぶのは、「全総」ではなかったか。この全国総合開発計画は廃止されるが、国土交通省はそれに代わる「国土形成計画」を08年に策定するとしている。それに向けて国土審議会の圏域部会が06年6月21日、広域地方計画の8区域(北海道と沖縄を除く)を定めた。「国土形成計画」から「広域地方計画」へと分権化する方向だが、国― 広域圏 ― 都道府県 ― 市町村総合計画という行政計画としての地域政策の構造がどこまで変わるだろうか。この議論は道州制への移行もにらんだものでもあろう。 この構造の下で市町村レベルでの地域政策は、都市計画事業や、最近のコンパクト・シティという考え方など、ハード事業を中心とした道路計画や施設配置と再開発計画などとしてとられているようだ。これらの事業計画はまちづくり交付金など国庫補助事業を獲得する基盤となるものでもある。 また、経済産業省サイドでは、産業政策としての工場や事業所の再配置計画として地域政策が論じられる傾向がある。最近では、厚生労働省のヤングジョブカフェと組んだ地域雇用政策やIT産業基盤整備政策、新エネルギー政策などとして展開されている。それにTMOなど「中心市街地活性化政策」とその焼き直しとしての「まちづくり3法」による大型店舗の郊外出店規制などが目に付く。農水省は中山間地施策や農村総合整備事業などの公共事業を中心とした地域政策の焼き直しがある。 しかし、一方で、 1990年代以降に各地で目に付くようになったのは、このような縦割りで集権的なハード中心、ないし産業政策中心の「地域政策」とは異なる「ソフトな地域政策」である。それは地域のコミュニティの創造や、地域経済の活性化を、地域レベルで市民が自立的・自律的に図ろうとする動きである。この「ソフトな地域政策」の特徴はそれを推進する主体が多様だということと、行政との連携や協働が目立つ点である。そして集権的なたてわり施策をも活用し、中央省庁を巻き込むかたちも目につく。この特徴は、80年代の五十嵐冨栄さんの名著「地方活性化の発想」もその時代の経験として持っていた市町村中心の見方の限界を越えるものだと思われる。 徳島県上勝町の株式会社「いろどり」は、1994年ごろから農協の指導員が始めた料理のツマとする「葉もの」(今だと青もみじ、蓮根葉など)の直販の取り組みが大きな事業に育ったものだ。ここの高齢者たちのパソコンの活用の程度は半端ではない。また役場の進めるゴミゼロ事業も徹底している。 高知県の馬路村の場合も、農協のゆずドリンク「ごっくん馬路村」が全国展開に成功したもので、村の一般財源を上回るほどの売り上げと多くの特別村民を獲得している。ここでも役場との連携はよくとれている。 「森は海の恋人」を登録商標とする気仙沼の牡蠣養殖業、畠山さんが引っ張ってきた漁師が大漁旗を掲げて湾の上流に濶葉樹を植林する運動は、全国に広がっている。これを展開するきっかけとなったのは上流域である岩手県室根村との連携だった。 東京都足立区の商店街の経営者たちがつくった株式会社「アモールトーワ」は、空き店舗に魚屋を開き、配食サービスを請け負い、大型店の清掃を引き受けて事業化するなどの取り組みで商店街の活性化を支える。ここでも行政側の事業委託が支えになっている。 由布院の場合は、本誌の4月号と5月号に紹介があるように、もともと旅館の若手経営者である中谷健太郎さんや溝口薫平さんたちの努力があり、それを町長などが支援するという形だった。バブル経済期に乱開発を阻止するための「美しいまちづくり条例」を制定するときにも、行政の担当者と中谷さんたちとの連携があった。 市民が主導する地域活性化の施策を、行政が支援するというかたちがこれからの地域政策の主流となるにちがいない。行政は統治団体として、税を徴収し、条例を定め、処遇困難ケースに適切に介入するという基本的な役割を果たす。その上で、言葉の本当の意味でのソーシャル・ワーカーとしての地方公務員の働きが求められる。法律を守るのではなく、法律や制度を活用し、生かしていくような創意ある市民としての公務員が求められる。 |
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(さわい まさる・奈良女子大学名誉教授) |