地方自治総合研究所

MENU
月刊『自治総研』

2008年2月のコラム

気になる「中間的な取りまとめ」の用語法

 少し前に、地方分権改革推進委員会から「中間的な取りまとめ」と題する文書が出た。第2次地方分権改革の行く末に関心を寄せる者にとっては、見逃せない文書である。

 改革推進委員会の自己認識では、その文書は「最初の一里塚」であって、今春以降順次行われる勧告に向けた「羅針盤」であり「トリガー」だという。一里塚のたとえはよいとして、「羅針盤」や「トリガー」という表現にはしっくりいかないものを感じさせられる。これがどうして羅針盤になりうるのか、これでは方位や進路を測定することなどできないではないか。また、「地方分権改革についての人々の関心を高め、国民的な理解と支持を拡大させる契機」とするためのトリガーだというのだが、そのトリガー(引き金)を引いて、何を発射し、どの的を射ようとしているのだろうか。全文を読んだあとでも、いぜんとして残る疑問である。

 しかし、読み始めてもっと気になったのが、おそらくは「これまでの改革の延長線上に改革を考える」ことでは足らないとする認識から用いられたと思われるいくつかの表現である。そのなかには、思わず反発感を抱いてしまうようなものもある。「地方政府の確立」を主張する文脈でくり返される「筋肉質の行財政システム」なる表現がその一例である。「筋肉質」であるかどうかを地方政府確立のメルクマールとすること自体が不可思議である。筋肉質ではない私もまた、「地方政府」論者の一人であるが、私が好んで地方政府概念を使うようになったのは、わが国における執行機関中心主義の地方自治体観を批判する観点からであり、議会あっての地方政府だとする考え方がベースにあった。しかし、それとはだいぶ異なる考え方のように見受けられる。

 また、反発よりも、その真意が判然としないことで気になったのが、「完全自治体」の表現である。今さら指摘するまでもなく、その表現は、都道府県知事の直接公選が制度化された戦後改革の成果を論ずる文脈で用いられることが多かった。しかし、そのことにあまりこだわる必要はないであろう。私などは、一方的な道州制推進論に疑問を投げかける立場から、むしろ都道府県の「完全自治体」化こそが重要ではないか、と論じたことがある。それは、先の第1次分権改革において都道府県の法的地位が変わったことを重視し、機関委任事務制度が廃止された現行制度のもとで、都道府県が広域自治体のあり方をつきつめて考え自己改革に乗り出すこと、それこそがまずは肝要ではないかということを訴えるために、あえてそのように表現したものであった。

 ところが、このたびの「中間的な取りまとめ」では、「地方政府の確立は、自治行政権、自治立法権、自治財政権を有する完全自治体を目指す取組みであり……こうした取組みは、将来の道州制への道筋をつけるものである」となっている。あるいは、同じく「地方政府」概念を用いた第28次地制調の「道州制答申」とのつながりに配慮したのであろうか。そうなると、「基礎自治体優先」の基本原則との折り合いをつけておかなければならない。しかし、その文脈で強調されるのは「行政の総合性の確保」である。そして、なぜか、パートナーシップの活用や民間化なども「総合性を担保するための手段」として例示されている。いったい真意はどこにあるのだろうか。

  これを「羅針盤」とし「トリガー」として、これからどんな勧告が打ち出されることになるのか。まるで、そんな疑問と不安を惹起することを通じて、私たちの関心を高めようとしているかのようである。

いまむら つなお・中央大学教授)