地方自治総合研究所

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月刊『自治総研』

2009年2月のコラム

分権で何が変わったか

辻山 幸宣

 20年来の友人であるプルネンドラ・ジェイン(Purnendra Jain)氏と久しぶりにあった。氏はオーストラリア・アデレード大学教授で日本政治の研究者だ。その関係もあって日本にはよく来て様々な聴き取りなどを精力的に行ってきた。近く、日本の自治体の国際政策を扱った著作が当研究所から出版される運びになっている。

 今回の来日は、今年の国際政治学会での報告のための調査が目的であるという。四方山話のなかで、突然「2000年の分権改革後、日本の地方自治はどう変わったかを理解するのに適した本は何か」と問われてすぐには答えられなかった。それが今も気になっていて、資料室や雑誌論文検索をしてみた。2000年改革直後には『分権 ― 何が変わるのか』(村松・水口、2000)や『地方分権下の地方自治 ― どこが、どのように、変わるのか』(本田・下条、2002)といった課題設定がなされたものの、8年を経てどうなったのかを明らかにする作業は見ない。

 市制町村制以来百数十年にわたって続いてきた地方自治のありようが、7年や8年で変わるものではないのかもしれない。ただ、『現代日本の地方自治』(今村、2006)のはしがきで編者が刊行の遅れを説明したつぎのくだりが、この間の事情をよく物語っているような気がする。「各自の個別の事情もさることながら、基本的には、この5年間のわが国の地方自治をめぐる状況がまさに疾風怒濤の様相を呈したため、執筆者のそれぞれが当面した諸課題への対応を余儀なくされたことによる」。

 せめて「疾風怒濤の様相を呈した」状況というものだけでも整理して、それらが分権型システムのもとでの地方自治に変わっていくことを妨げたのかどうかを、ひとつひとつ検証していかなければならないだろう。たとえば、地方分権改革と同時に走り出した市町村合併の動きがある。合併の協議、住民説明、新自治体の組織と運営づくりなど、分権型の地方自治づくりではなかった、ということなのかどうか。三位一体の改革によって、財政力格差が広がりそれを埋める地方交付税が減額されて、住民自治の拡充など二のつぎ、三のつぎになっていたということなのか。道路特定財源の一般財源化を提示されて、道路予算確保のために上京しての団結集会つづきで、拡大された議会権限の行使どころではなかったということなのか。そして今また、定額給付金の支給事務で全国の市区町村が仕事に追い立てられようとしており、議会にも支給費・事務費などの補正予算の審議が迫ってきている。

 このように自治体に押し寄せる制度改革や新規政策への対応に追われて、地方自治が変わる条件はなかったということか。それにしても私たちは何を測定すれば「変化」を知ることができるのかもわかってはいない。仮に地方分権によって、それまで中央政府と上意下達の関係にあり、中央政府の“決定”に基づいて行動してきた自治体が、自らの政策やその方向性をどのようにして決定するのかという課題を負わされることになったとしよう。そして、まさにその決定のあり方にどのような変化が起きているかを測定するという方法が思いつく。広がりを見せる自治基本条例を、このような視点で観察することが可能だろうか、同じように議会基本条例制定の動きも観察の対象として意味あるだろうかなどと思いはめぐる。

 先にあげた定額給付金の支給事務は「自治事務」だそうな。とすれば、それを実施しない市町村があってもいい。ただし、支給を心待ちにしている住民に納得してもらうことが必要だ。そんなことが可能だろうか、と結局は全国で実施されるシナリオになっている。このように自治体ごとに“決定”できない事務を国が創設する場合を考えて“法定受託事務”という区分をつくったのではなかったか。地方自治法には“自治事務”の定義はない。ただ「法定受託事務以外のものをいう」(2条8項)とある。地方分権一括法の国会審議に公述人として出席した私は、「決定的な観点が抜けている」として、自治事務の定義が欠けていることを指摘した。今あらためて、「自治事務」の意義を問う必要があると思い知らされた。

  ジェイン氏は私に大きな刺激を与えて成田から旅立っていった。

(つじやま たかのぶ 公益財団法人地方自治総合研究所所長)