地方自治総合研究所

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月刊『自治総研』

2009年5月のコラム

他人まかせの分権推進を超えて

 第1次分権改革が一段落した翌年、勤務する大学で「自治型社会の課題」という名称の講座を開設した。その前身の講座から数えると今年で11年目である。私自身を含む専任教員2人と客員講師5人によるローテーション科目であるが、専任教員は脇役でしかなく、自治体各分野の第一線で活躍中の現役職員を中心とする客員講師が主役をつとめている。通常の講義科目と異なって、いわば自治体の現場からの発信であるところに最大の眼目があり、地方自治体で当面する生々しい現実の諸課題が取り上げられるとあって、学生たちの評判もすこぶるよい。

 ところで、なぜ「自治型社会の課題」なのか。もっといえば、地方分権改革が目指す「分権型社会」ではなく、わざわざ「自治型社会」と銘打つことになったのだろうか。そのネーミング自体は私によるものではないし、担当者の間でしかと確認しあったこともないのだが、暗黙のうちに担当者の私たちは、そこに積極的な意義を見いだすようになっていった。すなわち、目指すべきは「分権型社会」にとどまらない「自治型社会」なのだ、他人まかせの地方分権の推進にのみうつつを抜かしていてはならないのだ、という共通認識を徐々に深めてきたように思う。

 第1次分権改革時代の旧地方分権推進法も、また今日の地方分権改革の根拠法である地方分権改革推進法も、その目的および基本理念を定めた条文において、「国民がゆとりと豊かさを実感し、安心して暮らすことのできる社会を実現することの緊要性」を訴え、「地方公共団体の自主性及び自立性を高めることによって、地方公共団体が自らの判断と責任において行政を運営することを促進し、もって個性豊かで活力に満ちた地域社会の実現を図ることを基本として行われるものとする」ことを謳いあげている。しかし、第1次分権改革から十数年を経て、いったいこれらの目的なり基本理念なりをどこまで具現化しえているのだろうか。

 いまこの国は、「国民がゆとりと豊かさを実感し、安心して暮らすことのできる社会」とはほど遠い状況にある。それに、「個性豊かで活力に満ちた地域社会の実現」など、ますます私たちから遠のいているように見える。そもそも、地方分権の推進によってそんな目的を達成し、望ましい地域社会を実現することなどが可能なのだろうか。できないことをできるかのように言い立てるのは、それこそ人を欺くものでしかないのではないか。各地域で懸命に生活する多くの人びとがそのように感じ始めているように見受けられる。

 もちろん、ことばのうえで「分権型社会」を「自治型社会」に置きかえたところで、なんら厳しい現実が変わるものではない。しかし、何より大事なのは、私たち主権者の当事者意識である。少なくとも、道州制をもって「地方分権の総仕上げ」であるかのように言い立てたり、憲法構造を不問に付した「地域主権」論の言説が独り歩きするような現状を放置したまま、これまでの延長で他人まかせの地方分権改革をひたすら願うだけであれば、自治と分権とのきしみがますます大きくなってしまい、日本の地方自治の将来はあやういことになると言わざるをえない。

 今年度の講座「自治型社会の課題」は始まったばかりであるが、年度末に予定されている自分の出番に備えて、第1次分権改革から今日に至るまでの経過をふり返りつつ、分権から自治へと軸足を移すことの緊要性について、私なりの論点整理につとめてみたいと思う。

いまむら つまお・中央大学教授)