地方自治総合研究所

MENU
月刊『自治総研』

2012年9月のコラム

大潟村村長選で初めての無投票当選

 科研費プロジェクトの仲間4人で秋田県大潟村役場を訪れたところ、ちょうど村長・村議選挙の告示日であった。自治総研の研究プロジェクト(略称「検証研」)で同村に出向いたのは2007年9月であり、グループでの訪問はそれから5年ぶりのことである。

 前回からの大潟村現地調査の成果はまだまとめきれていない。前回調査のあと、拙稿「むらづくりの実験 ― 大潟村の形成と展開 ― 」を翌年の『自治総研』に2回に分けて掲載し、他自治体の調査と並行して、長期にわたり村長をつとめた宮田正馗氏からの長時間ヒアリングを3回もおこなってきた。その具体的な成果が半年前に刊行にこぎつけた自治総研ブックレット『ゼロからの自治 ― 大潟村の軌跡と村長・宮田正馗』(公人社刊)である。

 八郎潟の干拓事業を終えて大潟村が発足したのは、東京オリンピックが開催された1964年10月のこと。したがって、まもなく発足50周年を迎える。しかし、最初の自治体設置選挙がおこなわれたのは村の発足から12年後のことで、はじめの4年間は任期2年の「制限自治」下での選挙であったので、その期間を含めて今回の選挙は11回目にあたる。これまで村議選では3回の無投票を経験しているが、村長選挙は毎回かなり激しい選挙戦をくり広げてきた。前回は三つどもえの選挙戦である。それがこんどの村長選挙は無投票となり、現職高橋浩人氏の再選が決まった。

 告示日の当日、9時半から役場の会議室で副村長や元総務系課長歴任者のヒアリングをおこない、午後も村の50周年記念史編纂事業のあらましについて編集当事者の話をうかがいながら、わたし自身は、村長選挙がほんとうに無投票となるのかどうか、立候補の締切時間が近づくのを気にせざるをえなかった。ヒアリングの途中、不謹慎ながら、「どなたも来られなければ、わたしが供託金を用意して対抗馬として名乗りを挙げましょうか」などと冗談を口にしたほどである。

 翌朝の新聞報道によれば、現職の高橋村長の最初の選挙演説は、「2年後には開村50周年を迎える。入植の原点を再認識しながら、村民が誇りを持ち、幸せを実感できる村政運営をしていきたい」というものであったという(秋田さきがけ)。他紙を含むメディア報道では、一昨年からの戸別所得補償制度で村内農家の9割以上が米の生産調整に加わる状況が生まれ、米の作付けをめぐる順守派と過剰作付け派との積年の対立は影をひそめるに至ったという説明がもっぱらであった。大潟村政を彩った基本的な対立軸がなくなったというのである。

 1戸当たりの所有農地15ヘクタールをすべて水田として認知する新営農方針が決まったのは1990年のことだったから、それからすでに22年が経っている。それでも営農方針をめぐる反目が続いてきたのだが、そのこと自体が尋常ではない。あえて言えば、不毛ですらあった。無投票当選を決めた高橋候補の選挙公約でも第1に掲げられていたのは農業の振興であり、村民の間では、「大潟村の米作りが駄目になれば、日本農業の明日はない」といった認識がごく一般的である。しかし、農業の振興だけが村政の争点ではないはずである。現に高橋候補は高齢者福祉の充実や自然エネルギーの事業化なども公約に掲げていた。それらの争点化とても、遅きに失している感がある。

 定員12名に15名の候補者が立った村議選の結果は、現職4名、新人8名の当選となった。ここにも新しい兆候が見られるようである。どうやら、わたしどもの共同調査の取りまとめものんびりとはできそうにない。科研費の期間中には、なんとかめどをつけたいところである。

いまむら つなお 山梨学院大学教授)