地方自治総合研究所

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月刊『自治総研』

2014年7月のコラム

問われる憲法理念の理解

 いわゆる「集団的自衛権」の行使容認について、憲法条文のなし崩し的拡大解釈がおこなわれているようである。わたしが大学で憲法を学んだころは、まだ自衛隊の合憲・違憲論がたたかわされていた時代であり、日米安保条約の改定をめぐる騒然とした状況の中であったにもかかわらず、「集団的自衛権」などという範疇はまったく登場しない時代のことであったから、まさしく隔世の感を強くせざるをえない。
 そんな感覚に襲われ、苛立つ気持を抑えかねていたところへ、なんと60余年も前の地方制度調査会発足にかんする短い原稿依頼が飛び込んできた。戦後地方自治年表の作成・編纂には以前から関心があり、それとの関連もあって引き受けることにしたのだが、実は、そのこと以外に、かつて小泉内閣時代に地制調委員に任じられたときから気になっていたことが、先方に承諾のメールを打つ決め手になった。各次の地制調審議が開始される際に机上配布される資料の中には地方制度調査会設置法の規定があり、それを見ると冒頭の第1条に、「この法律は、日本国憲法の基本理念を十分に具現するように現行地方制度に全般的な検討を加えることを目的とする」とある。爾来、このような目的規定がどうして掲げられることになったのか、そのことが気になっていたのである。
 地制調が設置された1952年といえば、その前年締結された対日講和条約と日米安保条約が発効した年である。手元の簡便な年表にあたってみると、それらの条約発効前に琉球中央政府が発足し、発効直後には皇居前広場でのメーデー事件があった。破壊活動防止法が制定され、警察予備隊が保安隊に改組されたのも、その年のことであった。そうした中で、少し前に発足したばかりの地方自治庁が自治庁となり、それにあわせて、総理大臣の諮問機関としての地方制度調査会が設置されたのである。隣室の棚にあるもっと詳しい年表を繰ってみたところ、前年暮れに召集された第13回国会の参議院予算委員会で、吉田首相から「自衛のための戦力は違憲にあらず」とする答弁がおこなわれ、それに対する野党の批判により訂正を余儀なくされた事案が目に飛び込んできた。そして、そういえば、そんなこともおそらく引き合いに出されたうえで、大学の憲法の授業では自衛隊の合憲・違憲論が論じられたに相違ないと、間が抜けた思い出にふけってみたりする。
 だが、これでは前述のような疑問を解き明かすことができはしない。気にはしながらも、そのまま放置してしまった自分の怠慢を責めながら、法令検索や国会会議記録の点検作業に移ることになる。いまでは、若いころ味わったような苦労をかけずに、自室のインターネットで容易に確かめることができる。案の定、内閣提出法案には上に引用したような目的規定など入ってはいない。参議院地方行政委員会の審議過程で野党議員から修正案が提示され、それが両院本会議で承認されたために、設置法第1条の条文となったのである。
 もう5年近く前のことになるが、民主党を中心とする連立政権成立の直後、鳩山内閣の基本方針で示された「地域主権」用語について、「おぞましい『地域主権』の用語」と題するコラムを本誌に寄せたことがある。「集団的自衛権」なる概念を振りかざすことにも、それとやや似た印象を覚えるが、ここで取り上げたのは、単なる用語上の問題ではないし、憲法条文の解釈としての当否の問題でもない。たまたま手がけることになった過去の事例から、わたしたちはどうやら、個別の条文解釈を超えた憲法理念の理解のしかたをあらためて問われるようになっていることに気付かされたという、それこそ苦々しい思いのする一件である。

 

いまむら つなお 山梨学院大学教授)