9月も終わりに近い頃、1通の書籍便が届いた。注文した記憶がなかったので、訝(いぶか)りながら封を切ると1冊の文庫本が収納されていた。阿部齊訳のジョン・デューイ『公衆とその諸問題 ― 現代政治の基礎』(ちくま学芸文庫)であった。「あれっ」と思った。阿部先生はずいぶん前にご逝去されているはずだし、デューイの同名の書物(1969年にみすず書房から公刊されたものは『現代政治の基礎 ― 公衆とその諸問題』と、主題と副題が逆になっていた)の薄い記憶が頭をかすめたからだった。矯(た)めつ眇(すが)めつ件(くだん)の文庫本を眺めていて、奥付のページで手がとまった。なんと文庫初版発行日が2014年9月10日と記されていたのだ。「えーっ」と宙を睨んで思索にふけった後、「そうだ聞いてみよう」という気になり、送り主で、予て親交のある阿部先生のお連れ合いの中田京さんにメールで尋ねた。早速丁寧な長文のお返事を頂いて、ようやく没後10年のいま、文庫本として再刊された経緯を知った。そこには、多くの研究者の想いがあった。
昨年の秋に筑摩書房編集長の増田健史氏から「阿部先生らのあとを受け政治理論の第一線で現在活躍している何人かの方々に(僭越ながら)ご意見を伺い、みなさま方より、再刊への強い勧めをいただいている」との話を受けた中田京さんは、「アメリカ研究の古矢旬さん(北海道大学名誉教授、現北海商科大学商学部教授)、成蹊大学で学ばれた亀嶋庸一さん(現成蹊大学学長)、成蹊大学院で学ばれた松岡泰さん(現熊本県立大学教授)、放送大学の山岡龍一さんなどの方たちに相談し」「みなさん、いいお話しだと喜んでくださいました」という経過があってこのたびの再刊になったという(カッコ内筆者追加)。文庫版の再刊に当たって「解説をどなたにお願いしましょうか、という話になって古矢さんが、宇野重規さんが最適だと」推挙し、宇野重規氏がこれを引き受けている。
ここで、中田京さんは宇野重規氏とのいきさつなどについて次のような一文を寄せてくれた(抄)。
「宇野重規さんの御父上の宇野重昭先生は、成蹊大学の私の恩師でして、3年生の時に宇野ゼミに潜り込み4年生になってもう一つゼミを取ってもいいということなので阿部齊のゼミにも入りました。阿部齊と宇野重昭先生は、1964年に成蹊大学に就職した、言わば同期の桜です。
宇野ゼミは今年50周年を迎えまして夏には記念のゼミ同窓会総会と宇野重昭先生の講演もあったそうです。不肖の弟子の私は9月議会シーズンが開幕していましたのでゼミ同窓会より決算書を読み込むことを選択して欠席いたしました。宇野重規さんもお見えになっていたそうです。
『現代政治の基礎 公衆とその諸問題』の学問的価値を私はよく分かっていないのですが、今回の出版は筑摩書房編集部のご尽力はもちろんのこと、阿部齊が研究者としてお世話になった方たちのおかげで実現したと思います。」
こうして再刊が実現したのだが、ここで文庫本解説を引き受けた宇野重規氏から、「(45年という)時代的な隔たりから、いくつかのテクニカルな用語について、その訳語が現在では読者に伝わりづらくなってしまっている。もし可能ならば、そうしたテクニカルな用語について、現在一般に通用している訳語に改めることを(もちろん、阿部先生の訳文を決して損なうことのない範囲で)検討すべきではないか」(要約)との申出があり、いくつかの言葉の改訳が行われている。その改訳部分について宇野重規氏の文庫版解説(307頁~)に次のような説明がなされている。
「最後に翻訳について、一言述べておきたい。故阿部教授による翻訳はアメリカ政治思想史研究の立場からなされた意欲的なものであるが、最初に翻訳されてから時間が経過したこともあり、今日においては多少の修正を要する箇所も散見される。例えば教授はpublic officersやofficialsを多くの場合に『官吏』と訳されているが、この場合のpublic officers/officialsは、行政官のみならず政治家も含み、公衆を代表する存在を指しているため、むしろ『公職者』あるいは『公務員』と訳した方が原著の含意を良く示すと判断した。さらにassociationについても教授は『結社』、『(人と人との)結合』と訳されている場合もあるが、ほとんどの場合、訳を『連合関係』に統一している。が、デューイは人と人、物と物との関係などを広く指してこの言葉を用いているため、『連合関係』では意味を取りにくい箇所も少なくない。したがって、この言葉についても、『結合関係』などの訳に改めた。その他、明らかな誤記・誤訳を最低限だけ修正したが、あとは基本的に原訳のままである」。
一人の研究者が残した業績が、没後10年を経て再び世に出るということには実に多彩な人々の想いが込められていることを強く知らされた。それは、我々研究者に今の仕事を振り返ってみることを促すに十分な話題であった。
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