地方自治総合研究所

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月刊『自治総研』

2014年11月のコラム

社会的費用

菅原 敏夫

 (たぶん)ちょうど40年前のことだ。季節は春。ある人と偶然エレベータで乗り合わせた。相手はぼくを知らない。ぼくも初対面だ。しかし、直観的に気付いた。宇沢コーブンだ。シカゴ帰りの。

 この最初の出会いは淡い思い出の中にある。最初の宇沢コーブンは偉丈夫でヒゲをはやしていた。子細に思い出すとその顔は、最近の写真、新聞の死亡記事・評伝に掲げられている晩年の白いヒゲとそっくりなのだ。いくらなんでもそんなことはない。40年前だ。この記憶の画像には、最近の画像が流用されている。記憶はその前後の衝撃によって、強められ、デフォルメされて40年を伝えられてきたということだ。

 最初の衝撃も妙に鮮明に覚えている。最初に読んだ宇沢の論文の、掲載された雑誌の表紙の色まで覚えている(公平のためにいえば、その雑誌は毎号同じ色だったので、記憶の信憑性を保証するものではない)。ページの下の方に組まれた数式は、衝撃的な事実を表していた。経済の成長は安定せず、変動は成長とともに拡大する。

 安心して経済の成長に身を任せられない。いつの日か変動は振り切れ、資本主義は崩壊するかも知れない。分かってはいる、そうだとは思っていたが、こうもサラリと言ってのけられたのでは、立つ瀬がない。

 次の衝撃は、最初のエレベータ事件の直ぐ後にやってきた。『自動車の社会的費用』の出版である。その頃のぼくは、出版される「岩波新書」を内容にかかわらず全部読むという、ばかげて、俗物的で、意味のない読書習慣を守っていたので、出版されてほどなく読んだことは確実だ。このような意味のない読書では、いちいち感激していたのでは、身が持たない。まず内容を腐す。「新味はない」。K・カップの社会的費用に関する理論は知られていたので、宇沢の新発見はない。宇沢もこんなものか、岩波新書もこんなものか。意気揚揚と読み進んで、衝撃は後ろの方にやってきた。「自動車の社会的費用」は年間、1台に付き200万円にのぼる。1974年の200万円である。それは、働いて得られる年収のすべてを注ぎ込んでもまかないきれない額であることは明らかだった。つまり、自動車を所有することはできない。社会正義の観点からそれは許されない。それでも車に乗ろうとするのならただ乗りだ。社会的な。一方ではその非現実性。どうしろというのだ。

 先月10月、第35回の自治研集会が佐賀市で開かれた。初めて、企画の一部を手伝うことになって、思い出深い集会になった。もう一つ記憶に残る自治研集会を挙げろと言われたら、ためらうことなく、1998年の第27回米子自治研集会を挙げるだろう。いろいろ工夫に満ちた集会だったが、そのうちの一つ、記念講演に宇沢が登場したのだった。宇沢は米子市出身だ。ぴったりの人選だ。講演を会場で聞いた。内容は、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世から一通のお手紙をいただいた。回勅『新レーノム・ノヴァルム』の作成を手伝ってほしい。私は躊躇することなく「社会主義の弊害と資本主義の幻想」こそ『新しいレーノム・ノヴァルム』の主題にふさわしいというお返事をさし上げた、というものだったと思う(記憶を確かめたくて米子自治研の記録を探したのだが、記念講演の内容はどこにも残されていなかった。たまたま自治総研にないだけなのか、記録が作られなかったのか)。既に何度か聞いていた内容なので、「新味はないな」、と少し生意気な感想を持った。

 衝撃はその内容ではなかった。講演が終わった後、ぼくの周りの参加者が、口々に講演の悪口を言い始めた。批判されるような内容ではなかったはずなので、戸惑った。ようやく理解できたのは、『自動車の』を読んだときの衝撃、その居心地の悪さを思い出したときだった。ぼくたちは不正義の世界に住んでいる。自動車から始まって、あらゆる商品、サービス、制度が正規の費用を払わず、私されている。負担は恩恵を受けない人々にしわよせされている。不正義に居直れない参加者は、自分の足元を切り崩されるような、不安と不快感をおぼえたのだろうと思う。

 ここまで来て、先日、宇沢の死去を伝える新聞や雑誌の記事や評伝に感じた違和感の理由が分かった。誉め過ぎなのだ。これは、宇沢の言説を祭り上げる行為なのだ。宇沢は不正義を正せと主張した。科学的には厳密に、散文としては少し緩く。しかし、現実生活には不都合なのだ。宇沢の主張は。そこで、神社に閉じ込めて、実害が及ばないようにしようと。

 宇沢弘文は残念なことに死ねなかった。今も鬼神となって、人々を苛み続ける。社会的費用を負担しろと。

 

すがわら としお 公益財団法人地方自治総合研究所非常任研究員)