地方自治総合研究所

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月刊『自治総研』

2014年12月コラム

新しい生活保障は市民自治体の協働で

 団塊の世代が75歳の後期高齢者に達する2025年に向けて、地域包括ケアシステムをどのように構築するか議論が行われている。自治体が実施主体となって高齢者が自分らしい暮らしを人生の最後まで送れるように、住まい・医療・介護予防・生活支援を一体的に提供しようとするものだ。支える世代が支えられる世代に移っていく、いまの社会保障の枠組みのままでは到底対応できないだろう。

 2025年を待つまでも無く、団塊の世代はいま親の看とりの時期を迎えている。要支援2の母と介護5の義兄と同じ街に暮らす私の生活も介護の比重が高まっている。

 そのような中、市から届いた母の介護認定通知書を読んで少し思うところがあった。

 最後の認定の不服審査請求の手続きの説明に「なおこの処分について不服があるときは本市を被告として(訴訟において市を代表する者は市長)処分の取り消しを訴えることが出来ます」と書いてある。なるほど行政関係者には不服審査において処分・被告の言葉は当然の表記と気にも留めないだろう。問い合わせれば介護保険法にそのように定められています、これは被保険者の権利を認めている文書です、との答えが返ってくるに違いない。

 しかし普通の市民は認定に疑問を感じ、まず理由を聞いてみようと思ったとしても、この言葉を前にしたら躊躇するのではないか。利用者の多くは医療も並行して受けている高齢者であり、家族だけでなく介護、医療などのサービス無しには安心して生活が送れない環境にある。不安や心細さを心のどこかに持ち合わせて生きている、処分と言う言葉は無言の圧力になりはしないか。介護サービスの内容を利用者に知らせる文書に公権力の行使を主旨とする処分と言う言葉が出てくるのになんとも違和感を覚えた。

 権利としての社会保障だとか声高に言うつもりは無いが、どのような制度でも機能していくには利用者の制度への信頼が欠かせない。行政対住民の対立も散々繰り返してきた。その中から相互信頼の必要性も学習してきた。自治体はただ法律を条文通りに流すのではなく、利用者・当事者の制度への理解と参画が進むような主体的な工夫をし、それにより行政と住民の意思疎通が進み制度の信頼が高まれば、それは自治ではないか。処分と言う言葉を痛痒なく受け入れているうちに知らず知らずのうちに最後は役所が決めるのだと言う意識に行政も住民も染まってゆきはしないか。これから経験したことのない高齢社会に入っていく地域社会にあって改めて行政と受益者の関係を考えさせられる通知書だった。

 介護保険が導入される前に、税方式か社会保険方式かでかなり議論があった。社会保険方式のほうが介護保険制度に対する負担と給付の関係がより明確になり、利用者が自由に介護サービスの選択ができ健やかに在宅で生活を送れると言うのが有力な意見であったように記憶している。現実は要支援・要介護ごとにランクが付けられ、サービス内容も異なる。利用者は認定された範囲内で選択を行いケアマネージャーがケアプランを作成した後に介護サービスを受ける。

 同じ社会保険方式の医療保険は、利用者は保険証を持って直接病院に行き診察を受け、医師はその場で治療方針を決定し患者に説明し治療が始まる。その間に保険者が入ることはない。診療報酬出来高払い制にまったく問題無しとは言えないが、最近はインフォームドコンセント、セカンドオピニオンなど詳しく説明を受けられ、選択肢も広がっている。介護保険は利用者が保険証を持って直接介護サービス事業者に行って自由にサービスを受けることはできない。自由な選択と言うことで見れば違いがある。

 ケアプラン作成時に福祉・介護・医療のサービスをどのように総合的に利用するか示されるが、制度の改定や全体像を最初から理解している利用者や家族はまずいないだろう。

 身体は一つなのにここまでは介護保険ここからは医療保険、さらにその中でと利用者は制度の課題ごとに分けられる。それを2025年の超高齢社会に向け、市町村が実施主体となり、住まい・医療・介護予防・生活支援などを一体的に提供しようと言うのだ。新しい生活保障システムは市民と自治体の協働無しには創れない。

 

(おかべ けんじ 公益財団法人地方自治総合研究所理事長)