岸信介というと「昭和の妖怪」「A級戦犯容疑者」「反共主義者」といった言葉やそれによって喚起されるイメージがつきまとう。かつて原彬久『岸信介』(岩波新書、1995年)が刊行されてほどなく同書を読んでいるが、結局それきりで、以後、岸信介に直接関連した文献に手を伸ばそうとする気は起きなかった。
だが昨夏、ふと思い立って、岸信介・矢次一夫・伊藤隆『岸信介の回想』(文春学藝ライブラリー版、2014年。以下『回想』)と、原彬久編『岸信介証言録』(中公文庫版、2014年。以下『証言録』)を仔細に読んでみることにした。「ふと」というのは、まず、安全保障関連法に反対する市民が暑い盛りに連日国会を取り巻く様子を目にして、1960年当時の安保反対闘争を連想したからである。それに続いて、岸首相が安保反対のデモ隊を敵視して語ったとされる有名な言葉、つまり「わたしは『声なき声』に耳を傾けたい」「多くの国民は後楽園で野球を見たり、銀座をそぞろ歩いている」と述べた発言のもとの出所をなんとか探り当てたいと考えたからである。
いざ『回想』や『証言録』を読むと、岸信介が冒頭列挙したラベリングから想起されるよりもずっと奥深く、仮りに今日の自民党政治家のなかに置いたなら「リベラル」とさえ評せそうな人物であることに気づかされる。ここで「リベラル」は、ただ政治信条というよりも身の処し方、言動のあり方まで含めた幅広い概念として使っている。平たい言葉に置き換えて、気前のよさ、余裕、懐の深さを指すといえばいいだろうか(平川克美『移行期的混乱』〔ちくま文庫版、2013年〕283頁にある鷲田清一の指摘を参照)。
そうした意味でのリベラルさがあってはじめて生まれるのがユーモアの感覚である。また、上質なユーモアを語れる政治家にはリベラルな気風が感じられるといっても、さほど無茶ではないように思う。かくしてようやく「巣鴨のマグロ」の話である。
1945年9月11日、岸信介はA級戦犯容疑で逮捕令状を出され、最初しばらく横浜拘置所に収監されたのち、1948年12月24日までの約3年間を巣鴨拘置所で過ごした。同日釈放されてすぐ、当時第2次吉田茂内閣の官房長官であった実の弟の佐藤栄作を首相官邸に訪ねる。ちょうどお昼時で、弟から好きなものを食べさせるといわれたので「巣鴨にいる間、三、四回マグロの刺身が出たことがあって、二切れしかなかったけれど、実にうまかった。他日出獄した折にはマグロの刺身を腹一杯食べてみたいと思っていた」と話すと、大きな皿に盛ったマグロの刺身を取ってくれた。「ところが食べてみると、これがいっこうにうまくないんだよ」。そう当時を思い起こしながら回顧談をこう締めくくる。やっぱり「マグロは巣鴨に限る」(『回想』116~117頁)。岸信介にはこういうユーモアの器量があった。
ちなみに巣鴨拘置所にいる間、岸信介はまめに日記をつけていた模様で、その一部が『回想』巻末の資料篇に収録されている。それを読むと、獄中生活の単調さもあってか、毎回の食事の内容が克明に記されていること、そこから岸信介が相当な食道楽であったに違いないこと、当時としてはかなり豪華な献立であったことが窺える。「アメリカ味噌汁」という何度も出てくる料理名がなにを指すかといった謎も残って、興味をそそられる。くだんの「巣鴨のマグロ」は出所直前、1948年12月4、9、11日のいずれも昼食時に出されたようである(『回想』445、447頁)。「三、四回」出たと述べた岸信介の記憶に間違いはない。
昨夏のふと思い立った動機に発して『回想』や『証言録』から読み取れた結果や、岸信介の政治信条に直結することがらについては、次回担当する巻頭コラムで論じる。
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