地方自治総合研究所

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月刊『自治総研』

2016年6月のコラム

沖縄辺野古シンポジウム余話


辻山 幸宣

 去る6月12日、早稲田大学国際会議場で当研究所主催の「沖縄辺野古問題を考えるシンポジウム」を開催した。沖縄辺野古基地をめぐる国と沖縄県の対立は、本土では「沖縄の問題」として等閑視されてきた感があるが、これは「自治体全般の自治の危機である」との主張を込めて全体テーマは「自治の尊厳」とした。このときの講演、パネルディスカッションの内容は何らかの形で公にする予定なので、ここでは当日の点描と余話を記して、ご参加いただいた皆さんへのお礼としたい。

 基調講演は仲地博沖縄大学学長の「自治の尊厳 ― 沖縄から」であったが、この中でシンポジウムのテーマを「自治の尊厳」としたことについて「自治総研の洞察力に感嘆」とのお言葉をいただいたことがまずもって頭を離れない。残念ながら翁長雄志沖縄県知事の日程がとれなかったが、代理の方が登壇して知事のメッセージを代読していただいた。
 後半はパネルディスカッションで、私も意見を述べた。ほかに杉田敦法政大学教授、白藤博行専修大学教授、そして辺野古を抱える名護市の稲嶺進市長であった。稲嶺市長は多忙のなか沖縄からわざわざおいでいただき参加していただいた。小原隆治早稲田大学教授の司会で、予定時間をオーバーして行われたディスカッションの内容は「乞うご期待」としよう。
 さて、このシンポジウムに備えてさまざまな準備を進める過程で、またシンポジウム当日、控室で皆さんと意見交換しているときにある大切なことを思い出した。それは分権改革の合唱に紛れて沖縄の自治の尊厳を蔑ろにしてしまったことだ。分権改革の目玉は機関委任事務制度の全廃であった。それは確かに明治地方制度創設時以来の集権的システムを改める意義があった。
 機関委任事務の廃止は次の手法で実施された。①事務そのものを廃止する、②委任を止めて国が直接執行する、③これまで通り自治体で処理する「法定受託事務」と「自治事務」に分ける。②の国の直接執行に変更する事務には、駐留軍用地特別措置法に基づく軍用地の強制使用の手続きがあった。すなわち、国の米軍用地使用・収用に土地所有者が応じない場合は、当該土地の所在する市町村長が所有者に代わって物件調書に署名押印することで国は使用権原を取得することになっていた。市町村長が署名押印を拒んだときは都道府県知事が代わって行うこととされていた。
 1995年9月に沖縄本島北部で米兵3人による少女暴行事件が発生し、県民に大きな衝撃を与えた。10月には「米兵暴行事件糾弾県民総決起大会」が8万5,000人規模で行われるなど、基地の整理・縮小を求めるうねりが高まっていた。このような状況の中で国は賃借期限の切れる米軍用地の使用延長を迫られ、特措法に基づく手続きを進めた。だが、大量の地主が契約を拒否した。加えて該当市町村長は誰一人代理署名に応じなかった。そこで法の規定により知事のさらなる代理署名が求められたが、沖縄県知事大田昌秀氏はこれを拒否、1995年12月内閣総理大臣は知事を被告として福岡高等裁判所那覇支部に職務執行命令請求裁判を提起した。この裁判は最高裁まで争われ結局国の勝訴となったが、使用期限切れという危機を経験したことがこのときの法改正の直接の動機であった。
 市町村長・知事の代理署名は機関委任事務と観念されており、分権推進委員会は機関委任事務の廃止という掛け声に乗って、この事務を廃止・国の直接執行とした(この代理署名がなぜ公法上の行為である機関委任事務になるのかいまだに解明されていないうちに、代理署名そのものがなくなってしまった)。これにより、土地所有者が署名押印しなければ国(内閣総理大臣)が署名押印すれば手続きは進むことになった。
 たとえ機関委任事務であったとしても、土地所有者が基地用地としての提供を拒んでいる場合に、その地の自治体の長が代理署名を拒むということは、平和を祈念する住民の思いを政府に向けて表明する行為であり、残された抵抗の砦であった。これが、地方分権一括法という475法律をひとまとめにした改正で国の意思通りに進めることが可能となった。地方分権改革は国の駐留軍用地確保という意図の実現に利用されたといってよい。
 沖縄辺野古シンポジウムが盛会のうちに終わったことに安堵しながら、私たち地方自治を研究する者が、大きな声を上げられなかった分権改革の影の部分を再確認した次第である。残された課題は、今や沖縄にだけしか適用例のない同特措法の改正には憲法第95条の住民投票の実施が不可欠だったのではないか、の検討である。

 

(つじやま たかのぶ 公益財団法人地方自治総合研究所所長)