地方自治総合研究所

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月刊『自治総研』

2017年6月のコラム

福島で学んだこと

 人生で3回目の退職願を福島大学に提出して、この4月から自治総研に勤めることになった。地方自治の流れを踏まえつつ、福島での18年間を振り返ってみたい。「公共政策論」の担当者として福島大学に採用されたのは1999年のことだった。ちょうど分権一括法が国会で審議された年で、国会のインターネット中継を見てから講義に向かったことを思い出す。分権改革で何かが変わるかもしれないという熱気は福島の自治体にも職員にもあったと思う。
 一方、個々の自治体にとって分権改革よりも目前の課題だったのは行政評価とか政策評価と呼ばれている流れだった。今年度の行政学会の共通論題のひとつが、「地方『改革』の検証」だったので久しぶりに思い出したが、確かに当時はニュー・パブリック・マネジメント(NPM・新公共管理)という動きが自治体を席巻していた。大田区役所退職直前の仕事のひとつがこれだったので、私は比較的NPMに対しては親和的な立場だが、ただ、マネジメントというのは必要不可欠ではあるものの、評価は精緻化を不可避とするので隘路に陥りやすいという自覚はあった。肝要なのは「大雑把」に管理することだと考えたが、特に研究者たちにはあまり理解されなかった。
 そうこうしているうちに市町村合併の波が福島にも押し寄せた。当時の県知事は否定的立場を表明していたし、また「合併しない宣言」の矢祭町のように全国から注目を浴びた自治体もあったので、流れを食い止めたかと思ったが、最後の土壇場で多くの市町村が合併になだれ込んだ。知事の意向とはかかわりなく、県庁の担当組織がシャカリキになって合併を推進したからでもある。面従腹背の実態を見せてもらった。彼らはなぜあのように知事より国の意向に忠誠を尽くすのだろう。
 福島県庁の外郭団体の広報誌に原稿を依頼されて提出したところ、あなたの原稿は不掲載だと言われたことがあった。自分としてはかなり抑制的に書いたつもりだったが、市町村合併に伴う財政措置をテーマにしたことが気に障ったらしい。県庁の方針に沿わないことは掲載できないと言い渡された。失望するというより失笑するしかなかった。こういう事情を知ってか知らずか、その後、総務省から出向してきた環境担当の部長(現在の県知事)が研究室にやってきて、環境関連の審議会委員を引き受けてほしいと言われたが、丁重にお断りした。
 福島に行って初めて小規模な町村役場に出入りする機会ができたが、まさにこれこそが地方自治の原点、自治体の原像ではないかと、目からウロコ状態だった。今は合併で消滅してしまった大信村役場を訪れたとき、ワンフロア50人弱が一望できる役場の機能性、効率性を実感した。評価システムなど無用の長物だ。これも合併でなくなってしまった白沢村役場や、夕張に匹敵する財政破綻状態に対して懸命に取り組んでいる渦中に村長が亡くなられた泉崎村役場など、日本の地方自治はこういうところでこういう人たちによって担われているということがよくわかった。平成の大合併はこうした地方自治の「根」の多くを改めてごっそり引き抜いた。と同時に私は「地方分権論」に潜む東京目線が気になり始める。
 そんなときに東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の苛酷事故が起きる。あれから6年余りが過ぎた。福島を離れてこれから私の第4期が始まる。

 

いまい あきら 公益財団法人地方自治総合研究所主任研究員)