地方自治総合研究所

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月刊『自治総研』

2018年1月のコラム

福島で学んだこと②

 18年間の福島大学勤務を3等分して、最初の6年間のまとめを前回(2017年6月号)とすると、今回は2期目のことを振り返る。時期的には市町村合併から震災・原発事故までの間だ。
 前回のポイントは、小規模な町役場や村役場を歩くようになって、日本の地方自治はこうした人たちによって担われてきたと肌身で学んだことだった。それまで私が考えていたのは「東京目線の地方自治」だったのではないかという反省だ。
 するとあるべき自治体職員像にも変化が起きる。多くの人と同じように、「政策形成能力が必要だ」とか「出る杭は打たれるが出過ぎた杭は打たれない」というスーパー公務員論などに、私も惹かれていたが、実は違うのではないかと思い始めた。そのきっかけになったのは、首都圏の職員研究グループを福島県内の村役場に案内した時のことだった。
 人口約6千人(職員数約60人)の村が財政を再建した事例の報告を聞いた首都圏の自治体職員は、「そもそも職員数は人口に対して○%であるべきなので、この人口規模にしては職員数が多すぎるのではないか」と村役場批判を始めたのである。そのようすはあたかも上司が部下を説教するかのような「上から目線」だった。そもそも職員数が数十倍にもなる首都圏自治体の「基準」を村役場にあてはめようとするのが間違っているのだが、よく考えてみると「地方分権」にもそういう要素があったのではないかと思えてきた。
 後日、批判を受けた村役場職員は「あの人たちはすごいですね(勉強もしているし弁も立つし)」と感嘆していた。確かに、その研究会に集う職員たちは、それぞれに本や論文を書き、なかには後に大学教員に転身する人たちもいて優秀だと思う。
 一方、小規模自治体であれば、1人の職員が担当する職務の範囲は、首都圏自治体で考えると、課の数にして3つや4つにあたり、職員数にしたら数十人分にも上る。村役場では国保と年金と介護保険を1人で担当することくらいはあたりまえだが、どんなに政策形成能力が高いスーパー公務員であってもそれができなければ村役場では勤まらない。逆にそこまで小規模自治体の職員を追い詰めてしまったのが「地方分権」だったのかもしれない。 
 市町村の職員採用試験のあり方にも興味をもった。近代的な人事制度という観点からすれば、きちんとした知識や能力の測定を筆記試験で行い、面接や討論を通じて人物像を判断して採用するというのが理想に違いない。もちろん役場の活性化を図るためにも、応募は全国どこからでもできるようにするべきだろう。ところがそれではあまり成功しないということもわかった。
 小規模な町村では、今度、町や村の中で高校や大学を卒業するのは誰と誰で、あそこの息子とあそこの娘が職員としてふさわしいのではないか、ということがわかるらしい。そこでスカウトが始まる。近代的な人事制度からみれば情実採用すれすれだ(もちろん採用試験はする)。
 現実問題として、たった1回の試験で、限りある資源としての職員を生涯にわたって採用するよりは、生まれてから18年なり22年なりをじっくりと地域で観察された子どもを採用したほうが、はるかにリスクが少ない。たとえば首長が自分の知り合いを強引に採用したら辞職ものだが、それはあの程度の奴を採用したという首長への評価でもある。
 このように考えると、「地方分権」というのは首都圏の自治体像や職員像を前提にした議論ではなかったのかと思い始める。私はもちろん2000年分権改革を全面的に支持し、高く評価する考えをもっているが、見落としていた何かがあったのではないかと思う。その意味で、自治体やその職員のあるべき「根」をはっきり見て取れたのが2011年の東日本大震災であり、東京電力福島第一原子力発電所の苛酷事故だった。

 

いまい あきら 公益財団法人地方自治総合研究所主任研究員)