このタイトルは、自治体がその休日を定めるうえでの自己決定権という意味でつけたものである。地方自治法は自治体の休日に関して第4条の2に定めを置いている。枝番が付いているところからわかるように、同条は地方自治法に最初からあった条文ではない。1988年に土曜閉庁制を官公庁で導入するため、国については行政機関の休日に関する法律、裁判所の休日に関する法律、国会に置かれる機関の休日に関する法律を新たに制定すると同時に、自治体については地方自治法を改正し、第4条の2を付け加えることにしたものである。その後、同条第2項が1992年に改正され、完全週休二日制が実現した。
第2項は自治体が条例で定める休日として、①土日、②祝日法に規定する休日、③年末年始で条例で定める日を列挙している。自治体の自己決定権は、①、②については入り込む余地がない。③についても、松本英昭『新版 逐条地方自治法』(学陽書房、2001年)は国の制度に準じて定めることが適当とする解釈を示し(59頁)、実際、おそらくすべての自治体がその解釈どおり、12月29日から1月3日までを休日にしていると推測される。
その一方、1991年の地方自治法改正で新設された第4条の2第3項(従前の第3項は第4項に繰り下げ)は、自治体において「特別な歴史的、社会的意義」を持ち、記念日として定着している日で「広く国民の理解を得られるようなもの」を条例で休日にできるとしている。そこには休日の自治の余地がある。松本前掲書は、第3項が設けられたのは「沖縄県等より(中略)強い要望がなされた」ためとし、同項適用の実際例として「沖縄県の慰霊の日や広島市の平和記念日」をあげている(59~60頁)。
話しが後先するが、そもそも第4条の2に関して調べてみようと思ったきっかけは、沖縄現代史研究の第一人者である新崎盛暉氏の『日本にとって沖縄とは何か』(岩波新書、2016年)を読んだことにある。おもに同書にもとづいて第4条の2関連の経過を整理するとこうである。沖縄では1961年制定の住民の祝祭日に関する立法、同年全面改正の琉球政府職員の休日に関する立法により、6月23(最初は22)日を慰霊の日と定め、琉球政府の休日としていた。だが、1972年の本土復帰と同時に沖縄には日本国政府の法律が全面適用されることとなり、従前の沖縄独自の立法は効力を失った。慰霊の日は、1974年制定の県条例のなかであらためて規定されることになった。
ところが1988年に地方自治法が改正され、当初の第4条の2には現行第3項が欠けていたために、同条とそれにもとづいて休日を定める条例により、慰霊の日を休日とすることができなくなった。そこで一坪反戦地主会などに加えて県遺族連合会もそれに抗議する運動を進め、1990年6月23日、沖縄戦全戦没者追悼式に出席した海部俊樹首相から「地域的特性を考慮すべき」との発言も得たうえ、翌91年の地方自治法改正とそれによる現行第3項の新設にまでこぎつけることができた(82~84頁)。
第3項にもとづいて、条例により自治体独自の休日を定めている例がどれほどあるかを調べてみた。総務省自治行政局公務員部公務員課と沖縄県企画部市町村課から得た懇切な回答によると、沖縄県、同県内すべての市町村、一部事務組合、広域連合が6月23日を慰霊の日として、広島市が8月6日を平和記念日として、条例で定めている例があるだけとのことであった。
日本国政府が休日の自治に関しては、沖縄の自治体の自己決定権を尊重していることが一応わかった。では、休日の自治以外にこれまでどれほど自己決定権を尊重してきたか。それが、わたしがこれから真剣に研究したいと思っている課題である。
最後になるが、新崎盛暉氏が今年2018年3月31日に逝去された。辺野古新基地建設問題の現状を考えると、その無念の思いはいかばかりであったろうかと胸が痛む。謹んでご冥福をお祈りする。
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