地方自治総合研究所

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月刊『自治総研』

2018年7月のコラム

福島で学んだこと③

 2017年6月号、2018年1月号に続いて、「福島で学んだこと」の最終回となる。時期的には東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の苛酷事故以降を対象とする。
 震災と事故から7年目の今年3月、自治労福島県本部とともに取り組んできた原発被災自治体職員アンケート調査のプレス発表を行った。詳細は本誌5月号の高木竜輔准教授(いわき明星大学)による解題を参照していただくとして、調査結果の反響は予想以上に大きかった。
 日弁連災害復興支援委員会の弁護士たちにこの調査結果を紹介した時には、冗談交じりに「こんな実状を聞いたら自治体への矛先も鈍る」と言われた。被災地では自治体職員もまた被災者であり、本来であれば、住民と同じ環境にあるにもかかわらず、窓口では住民が必死の形相で職員を問い詰める風景は日常的であったし、弁護士ともなれば、その住民の後ろに立って、役所と対峙することもしばしばであった。
 にもかかわらず、福島県弁護士会は今年2月26日、「避難指示等の解除等に伴い原発事故被害者の自由な選択を保障すること及び事故惹起にかかる国と東京電力の責任を踏まえた新たな支援施策を求める決議」を公表し、政府に対して、被災者支援とともに、関係自治体そのものへの積極的な支援を要求している。緊急時において、住民の生命と安全を守る自治体とその職員の存在意義を認めてもらえたようで、とてもありがたかった。
 発災直後を振り返ると、しばらくの間、被災地自治体職員の知り合いたちとは連絡がつかなかった。何人かのゼミ卒業生も職員として過酷な労働を強いられているはずだったが、自分としてはなすすべがなかった。さらに原発の深刻な状態がネット上で喧伝されるようになると、東京から電話がかかってきて、共通の知人である職員のAさんに連絡し、「持ち場を離れてすぐに避難するように説得してください」と泣きながら依頼される。しかし、Aさんの性格や考え方からみて、住民よりも早く避難することはできないと私は思ったので、その依頼には応えなかった。これこそ自治体職員の宿痾である。
 津波だけではなく、プルームが空を飛ぶ原発事故でも、本来であれば、たとえ自治体職員であろうと、我先に率先して避難するべきなのである。そのほうが全体の被害を最小化させることはこれまでの大災害の経験が教えている。さきほど紹介した職員アンケートの自由記述にも、「今となっては笑い話だが、残った職員は、みんな命を懸ける(死ぬ)覚悟をしていた」と書かれていた。しかし、ひょっとしたら「笑い話」ではなく「命を懸ける」事態に陥った可能性も高い。そのなかで、多くの自治体職員が、自分よりもまず住民を避難させることを優先した。
 震災と原発事故を通じて、私は自治体職員のこうした宿痾をいくつも目の当たりにしてきた。おそらくこれが自治体やその職員の原点なのだ。こういう人たちの力によって日本の地方自治と地域社会は支えられてきたのである。東京圏に暮らし続けていたら、観念的にはわかったつもりでいても、体感的には理解できなかったにちがいない。
 原発事故から数年して、避難自治体に就職していたゼミ1期生と、彼の卒業以来、十数年ぶりに再会した。除染や復興の担当係長になっていた。まだ子どもが小さいので、避難指示が解除になっても避難を続け、遠距離通勤をしていた。彼が背負っているものの重さを考えながら、私は前述の調査に取り組んだ。これもまた福島で学んだ成果の一つである。

 

いまい あきら 公益財団法人地方自治総合研究所主任研究員)