地方自治総合研究所

MENU
月刊『自治総研』

2019年10月のコラム

Society 5.0?


武藤 博己

 第32次地方制度調査会専門小委員会の中間報告案が示されたのは、2019年7月31日の第3回総会であった。ここでは、Society 5.0という語が18回も使われている。総務省のホームページでもトップに「Society 5.0時代の地方」という枠囲みがあり、それをクリックすると、総務省地域力強化戦略本部のページに入っていく。また、内閣府のホームページでも、内閣府ホーム > 内閣府の政策 > 科学技術・イノベーション > Society 5.0と進んでいくと、「Society 5.0とは、サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会(Society)。」(①)、「狩猟社会(Society 1.0)、農耕社会(Society 2.0)、工業社会(Society 3.0)、情報社会(Society 4.0)に続く、新たな社会を指すもので、第5期科学技術基本計画において我が国が目指すべき未来社会の姿として初めて提唱されました」(②)との説明がある。中央政府は「Society 5.0」が相当にお気に入りのようだ。

 中間報告の素案が最初に示されたのは、第18回で、<暫定版>と書かれた「中間的なとりまとめに向けた論点整理(案)」(2019年6月7日)であった。ここでも、「Society 5.0」は16回も使われている。しかしながら、どのような意味で使われているか説明がない。そこで、筆者は、「Society 5.0という言葉については、これでなにもかも解決できるかのような言い方だが、それは何の説明もなくて、情報化社会の次の時代を意味するスローガンに過ぎない。Society 5.0という概念を明確にして、焦点は何なのか書いた方が良い」という趣旨の発言をした。

 その結果、第19回の「2040年頃から逆算し顕在化する地方行政の諸課題とその対応方策についての中間報告(素案)」では、脚注として、「Society 5.0は、内閣府の第5期科学技術基本計画において、我が国が目指すべき未来社会の姿として提唱されたものである」(③)と述べ、上記②の説明を入れてから、上記①の「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステム……、人間中心の社会」と解説された。

 ただ、この記述についても、筆者は、「Society 5.0については、注がついたが、この説明を読むと、サイバー空間とフィジカル空間を高度に融合させたシステムにより云々。高度に融合させたシステムなど現実にイメージが浮かばない。またそれが経済発展と社会的課題の解決を両立すると決めつけている。さらに、それが人間中心の社会というふうに書いている。これは言葉の遊びにすぎない。これまでの人類の考え方と違いすぎる。技術に対する過信が見られる。AI、IoT、ロボティクスの活用により生まれる時間云々とか、それで時間が生まれることについては失業という負の側面もある。技術に対して楽観的すぎる」という趣旨の発言をした。

 「サイバー空間とフィジカル空間を高度に融合させたシステム」というと、キアヌ・リーブスが主演した映画マトリックスを思い出す。サイバー空間とフィジカル空間を行き来しながら、コンピュータの支配に抵抗するというストーリーだが、空想映画であり、サイバー空間とフィジカル空間が融合することなどない。

 そこで、中間報告では、脚注が次のように書き換えられた。「Society 5.0」は、上記③の説明の後、同計画では、「従来は個別に機能していた『もの』がサイバー空間を利活用して『システム化』され、さらには、分野の異なる個別のシステム同士が連携協調することにより、自律化・自動化の範囲が広がり、社会の至るところで新たな価値が生み出されていく。これにより、……国民にとって豊かで質の高い生活の実現の原動力になることが想定される」と。

 少しはましな説明になったようだが、よく考えてみると、Society 1.0~4.0は狩猟社会、農耕社会、工業社会、情報社会と、日本語の意味が添えられている。今でも農耕は続けられており、現代は農耕社会5.0くらいかもしれない。工業社会も現代は工業社会4.0(ドイツではインダストリー4.0という概念がある)。Society 5.0は内容から考えると、AIを活用した高度情報社会を意味しており、情報社会2.0というのが正確なのではないだろうか。

 

(むとう ひろみ 公益財団法人地方自治総合研究所所長)