ある労働組合の集会に参加したとき、安倍晋三内閣を「新自由主義」と定義した上で批判する発言を聞いて、やや違和感を抱いた。確かに小泉内閣を引き継いだ第一次安倍内閣は「新自由主義」の残滓をひきずってはいた。ところが民主党政権の次に登場した第二次安倍内閣は、「新自由主義」とは対極の経済政策をとっている。
たとえば「働き方改革」「同一労働同一賃金」「女性活躍社会」などのスローガンは、あたかも労働党政権かと見紛うばかりである。「官製春闘」に至っては、どうしてここまでするのか、社会通念的には理解できないだろう。もちろんそこには安倍首相の戦略がある。
2015年5月12日の衆院本会議の閣僚席で、安倍首相は当時の塩崎厚労相に対して、「同一労働同一賃金って言っているけど、連合も民主党も本音では困るんだよなぁ。我々の方からやってやったっていいんだ」とつぶやいたという(鯨岡仁『安倍晋三と社会主義』朝日新書)。つまり、「同一賃金同一労働」を打ち出せば、民主党と連合を揺さぶる材料になると考えたらしい。その直接の結果とまでは言えないが、確かに2017年には「高度プロフェッショナル制度」をめぐって労働側は混乱し、最終的に民進党は分裂する。
国が市場経済を左右できるという「確信」を背景としたリフレ派の金融政策に安倍首相が接したのは、2011年に当時の与党である民主党を含む超党派議員で開催されていた「増税によらない復興財源を求める会」のことだったらしい。おそらくこの時点で安倍首相は「新自由主義」的色彩から、「三本の矢」に象徴される統制経済型産業政策へ経済政策の考え方を転換させた。正確にいえば、先祖返りしたのであろう。
憲法改正論議に見られるように、もともと安倍首相は「強い国家」観念を持っている。このことと統制経済型産業政策との間には親和性がある。「アベノミクスはいいけど、憲法改正はなぁ」という一般的な世論が、高い内閣支持率の維持と、さらに同じくらい高い内閣不支持率の維持の並立という結果を導いているが、これらは表裏一体の関係にある。
しばしば社会意識調査の視点から、現在の自民党政権は若年層に「革新」と認識されていると語られる。本誌の読者の多くは首を傾げるかもしれないが、戦前の一時期には「革新官僚」という言葉があった。ラディカルな国粋主義に裏打ちされた「新体制運動」「昭和研究会」(蝋山政道も大きな役割を果たした)などに出入りする官僚たちのことで、安倍首相の祖父にあたる岸信介元首相もその一人だった。
岸元首相は北一輝の国家社会主義に影響された大学時代を経て農商務省に就職する。そこから分割された商工省では、自由競争ではなく「包括的な発展計画」の下に国が企業を「統制」して経済発展するという構図を描き、「重要産業統制法」を成立させるなど、「革新官僚」としての力を発揮する。いわゆる「1940年体制」である。1941年には東條内閣の商工相に就任し、「宣戦の詔書」に署名したため戦犯容疑者とされる。
このころには利己主義を乗り越える「協同主義」も唱えられている。無産政党であった社会大衆党も統制経済に対して、資本主義の弊害を是正する役割を期待する(国民健康保険法など社会保障制度のいくつかもこの時期に始まる)。こうして陸軍の暴走を抑えるというタテマエのもと、統制経済と協同主義が合流して大政翼賛会が成立する。これが歴史の教訓なのである。
私たちが最も大事にしたい観念は基本的人権を前提とした「自由」だ。個々人の自由を基礎として政府の役割を措定しなければならない。そうしなければ戦後総括にはなり得ない。地方自治はその一翼を担うはずである(拙稿「なぜ『地方自治』なのか ― 松下圭一と『地方自治職員研修』― 」『地方自治職員研修』2020年3月号、参照)。
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