地方自治総合研究所

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月刊『自治総研』

2020年6月のコラム

コロナ対策と自治

 コロナ禍により5月25日現在、米国で9.8万人、英国で3.7万人の死者が出ているのに、日本ではそれが820人にとどまっている(https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/coronavirus-world-map/)。感染が拡大し、積極的なコロナ対策を講じている国では、おおよそ①厳しい外出・営業規制と、それを裏打ちする②手厚い休業補償を政策の2本柱にしていると考えていい(毎日新聞2020年4月3日付、4月7日付などを参照)。一方、日本政府がそうした政策路線に及び腰であるにもかかわらず死者数が低位にあるのは、欧米諸国と比べて国民の衛生意識や衛生環境の水準が高いからなどと巷間語られたりするが、本当の要因はまだわかっていない。にもかかわらず、新型インフルエンザ等対策特別措置法(以下、新型コロナ特措法)にもとづいて政府が4月7日に発出した緊急事態宣言は、5月25日をもって全面的に解除されるにいたった。
 結論的にいうと、コロナ対策はやはり①厳しい規制と②手厚い補償を基本に据え、望むらくは国際協調体制のもと、各国政府の主導で進めるべきだし、これからも相当の期間、そうであり続けると考える。ところが日本では政府の腰が引け、同時に新型コロナ特措法が法定受託事務のかたちとはいえ(第74条)、都道府県知事に外出・営業自粛要請をする権限を与えるなど(第45条)、自治体に多くの仕事を配分しているために、コロナ対策を進める主役が自治体政治家、なかでも知事であるかのような様相を呈している。そのうえ、そうしたあり方を「大阪モデル」といった言葉を使ってメディアが称揚してさえいる現状がある(朝日新聞2020年5月22日付社説などを参照)。見当外れというほかない。
 まずいうまでもなく、パンデミックの言葉どおりウィルス自体は国や自治体の境界線で立ち止まってくれない。ワクチン開発にまだ1~2年はかかると見られている以上、当分の間は感染拡大の最悪のシナリオを前提とし、疫学的観点から、各国政府が人の移動を止める感染予防・抑止策を全国一律に進めることに一番の優先順位が与えられるべきである。
 つぎに一般論としていうなら、自治体同士が政策を競い合えばそれが相互波及作用を生み、自治体全体の政策水準を高め、さらに国の政策水準も押し上げる効果が期待できる。だが、コロナ対策の場合、そうした展開を待っているだけの時間的な余裕はない。また、自治体の間には、都道府県レベルで見ても財政力指数1.2に近い東京都から0.3未満の鳥取県、高知県、島根県まであるなど(2016~18年度実績)、行財政能力の違いが存在する。その結果として生じる休業補償の多寡や、感染検査体制の整備度の差を「自治体の個性」の美名で呼ぶことはできないだろう。
 さらに見逃してならないのは、自治体間の政策の違いが感染拡大を抑えるにはもっとも避けるべき人の移動を促してしまうことである。C.ティボーの「足による投票」(voting with one’s feet)や、P.ピーターソンの「福祉の磁石」(welfare magnets)の議論を思い起こしたい。「コロナ疎開」の言葉どおり感染危険度の高い地域から低い地域へと人が移動する現象に加えて、外出・営業規制の強い地域から弱い地域へと飲食・接客業界の働き手が職を求めて移動する現象が伝えられている(朝日新聞2020年4月9日付、東京新聞2020年4月12日付などを参照)。さらにこれから外出・営業規制が長引けば、休業補償の薄い地域から厚い地域へと人が移動する現象が生じることも大いに考えられる。それを抑え込むには、国が全国一律の強力なコロナ対策を推し進めるしかない。
 コロナ対策に自治体の実情に応じた創意工夫、自治・分権は必要ないというのではない。それに注意を向けるより前に、国際標準からかけ離れた日本政府のコロナ対策の貧しさに厳しい目を向けるのが、研究者やメディアの役割ではないかと指摘したい。不思議に死者数が少ない現状にあぐらをかいた議論ではなく、空振りする可能性があっても本筋に立った議論をすべきだと考える。

 

こはら たかはる 早稲田大学政治経済学術院教授)