今年の第35回自治総研セミナーは、9月19日(土)に、「『公共私連携』を考える ― 介護保険制度20年目の課題」をテーマに開催する。昨今の環境を考えて、初めてのオンライン開催となる(内容や視聴方法などは本誌に同封してあるチラシか自治総研ウェブサイトを参照)。
自治総研セミナーは毎年2月頃から企画を練り始め、4月頃にはテーマを確定させて登壇依頼や会場確保などを行う。今回、意識したのは分権改革施行から20年ということと、介護保険制度施行から20年ということだった。
たまたま2000年に起きた二つの事象に共通することは何だったのかを考えたときに、それは「公共私」の「共」を生み出すチャレンジではなかったのかと思い至った。振り返れば、NPO法が施行されたのは1998年で、これらの出来事に近接する。そういえば今年6月にまとめられた第32次地方制度調査会の答申にも「公共私の連携」という項目があった。
さてそれではそもそも「公共私」とは何なのか。いつ頃から使われ始めたのか。『朝日新聞』の新聞検索(1985年以降)をしたらわずか9件しかヒットしない。それも行政文書からの引用が多い。一方グーグルでは1億7,100万件もヒットするが、一覧するとこちらも多くが行政文書だ。つまり「公共私」とは「公」から見た行政用語に過ぎないのではないか。
「公共私」よりは、単に「公私」、あるいは「官民」という言葉のほうが一般的に使われている。「官」というのは国の組織やその職員のことであるから、「官」には自治体という概念は含まれていない。「公私」になると自治体は「公」に含まれる。「官民」と「公私」とでは自治体の立ち位置が異なっていることに気づく。
もともと「官」は、近世社会の共同性からその一部を国の行政が吸収することで生まれ、何が「公共」であるかという解釈そのものを独占してきたという(大森彌「身近な公共空間」西尾勝ほか編『公共哲学11自治から考える公共性』東京大学出版会、2004年)。たとえば、どこからどこまでが「公共の福祉」であるかは「官」が判定してきた。それが国の行政による権力(強要・強制)の源泉となる。
これに対して「共」という領域を生み出すということは、「私」の立場から「公」を問うことになる。分権改革で言えばそれが「市民自治」ということの本来の意義であり、介護保険制度で言えば、「公」という措置制度と「私」という家族介護との間に「共」という社会保険制度と疑似市場を設けることによって「公」のあり方を問うことにつながる。
だが問題は「共」の現状である。少子高齢化の影響もあって、介護保険財政の将来は決して明るくない。市町村合併によって「公」が撤退した地域には「地域運営組織」という「共」が期待されているが、そもそも人材が見当たらない。「公共私連携」という言葉を安易に使えない状況にあるのではないか。
そこでよくよく考えてみると、そもそも「共」には実体的な主体が存在しないのかもしれない。「共」というのは「私」と「私」との関係の結びつきを示しているのではないか。「共」を仮想的(擬制的)に主体とみなすところから、「公」による「公共私(連携)」論の誤解が始まっているのではないか。
今のところ疑問符だらけであるが、これらのことを今年の自治総研セミナーで考えてみたいと思う。
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