「TKB72」とトイレカーを
どんと突き上げてくるように揺れた。続けて、ぐらり、ぐら、ぐらり。地震警報がけたたましく鳴り響いていた。
ことしの元旦、能登半島地震が起きたとき、石川県にいた。加賀市にある硲伊之助美術館の古民家で、家族とともにお節料理をよばれていた。
あわてた。なにしろ建物は築100年になろうかという古さ。加賀市山中温泉でのダム建設で水没する集落から約60年前に移築されたもので、崩れないかと心底、震えた。
揺れが収まり、外に出てみると、近くの丘の上の小学校の校庭に自動車が続々と避難してくるのが見えた。東日本大震災の津波被災地を取材してきただけに、津波への警戒心が広く確実に共有されていることに安堵した。
だが、大震災の教訓を実感できたのはここまで。あとに続いた体育館や公民館での避難生活のようすを報道で見るにつけ、改めて目を覆った。なぜ、また雑魚寝なのか。一部には毛布や段ボールによる仕切りが事前に用意されていた所もあったろう。だが、厳寒期に発生から1週間後にも2万人を超える人々が苛烈な状況に置かれたのは、明らかな人権侵害だ。
だからこそ東日本大震災のあと、さかんに「TKB72」が叫ばれてきたではないか。
不衛生なトイレや連日の冷めた弁当、硬い床が健康を害し、災害関連死につながる。それを防ぐために発生から72時間以内に、快適で十分な数の「トイレ」、温かい食事をつくれる「キッチン」、簡易な「ベッド」を提供するという施策だ。イタリアなどでの実践例も報告されている。
日本でも拠点になる自治体が仮設トイレや段ボールベッドを備蓄するか、業者からすぐに調達できる手はずを整えておけば、できる話ではないか。避難所の運営を定める災害救助法の趣旨にも沿うのだから、政府が助成するのは当たり前だろう。
こうした話を何度も一般の新聞記事や社説に書いてきた。それなのに、なぜ、遅々とした歩みなのか。
政府の地震調査研究推進本部によれば、南海トラフ大地震の確率は30年以内に70~80%(他地域と同じ「時間予測モデル」を用いれば6~30%)。マグニチュード7の地震が30年以内に70%の確率で起きるとされる首都圏(首都直下や茨城南部から神奈川までのどこか)の地震も見込まれている。
被害予想の激甚さを直視すれば、「危機はいつか来るのではなくて、危機は必ず来る」という心構えを行政も住民も持って、対応をすべきだ。
そんな思いを抱きつつ、7月半ばに早稲田大学であった「全国地方議会サミット2024 非常事態への備え これからの議会」を覗いてみた。
能登半島地震に直撃された輪島市、珠洲市、能登町の議員らは、過疎地での復旧復興の難しさを口々に訴えた。珠洲市長がその時点で、なお750戸で断水が続いており、300人以上が避難所にいると述べたときには会場に驚きのため息がもれた。
熊本地震に見舞われた大西一史市長は避難所の環境の劣悪さを、「2日目のトイレは地獄です」と表現した。そして下水道に直接流すマンホールトイレをつくったことや、能登半島の被災地にキャンピングカーを送ったことなどを紹介した。
こうした議論のなか、参加者から「各自治体がトイレカーを保有しよう」という提案があった。それを受けて、同サミット大会宣言に「災害時への備えとして、市区町村に1台の『トイレカー』を配備するよう議会から行政へ提案する」という一文が入った。
お金がかかる話なので費用対効果を問う声も上がるだろう。だが、緊急防災・減災事業債の対象になるし、各自治体で検討に値する話だと思う。自走式のトイレカーを見たことのある人は少ないから、通常時には防災キャンペーンの会場で確実に主役になれる。公共工事の現場でも活用できるだろう。
「1自治体に1台」は難しくても、拠点都市は複数、常備すればいい。各地のトイレカーが被災地に次々に駆け付ける。そんな光景を想像するだけでも頼もしい。サミットに参加した議員たちが地元で、どう行政に働きかけてゆくのか。今後の展開が見ものだと思っている。