地方自治総合研究所

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月刊『自治総研』2024年10月コラム

四セク

菅原 敏夫

6月19日、自治体に対する「補充的」指示権を定めた改正地方自治法が可決、成立した。この自治法改正案をめぐっては、珍しく反対の論述がたくさん現れた。何よりも自治総研は、地方制度調査会の議論をトレースしてきたし、改正案の詳細が明らかになった時点で、批判の論点を明示(『月刊自治研』に寄稿いただいた)し、その後の国会委員会審議等に大きな影響を与えた。何よりも自治総研ブックレット『「転回」する地方自治』が緊急に出版され、網羅的な批判が実現した。

だから、この誌面で私が付け加えることは全くない。ただし、30年以上前のパースペクティブに映し出されたコミュニティの自律、その頃私の心をとらえていた市民の政府、市民の自治体の夢の無惨なかけらを拾うことは自分にとっては意味がある。

まず「協働」だ。法律案概要には「地域の多様な主体の連携及び協働の推進」と題されていた。でも騙されない。総務省が対等平等の協働なんて考えるはずがない。条文はちゃっかり「共同」に戻っているし。もっと読むと「市町村長が指定できることとし」とあり、私にとっては悪魔の言葉「指定」が登場する。2003年の自治法改正、指定管理者制度の悪夢。指定という法形式は市民社会の契約の自由と対等を壊す。実際に壊した。

記憶の後退りはここで止まらなかった。妙に鮮明な記憶、1991年の自治法改正まで戻ってしまった。このとき第260条の2が新設され、「地縁による団体」、「地域的な共同活動」、「不動産に関する権利」、「市町村長の認可」などの言葉がちりばめられた。いわゆる認可地縁団体の法人格の取得である。しかしこのときの権利は控えめなものであった。立法事実も、町内会長個人が町内会館などの不動産の名義人だった場合、亡くなったとき困るでしょう、という程度のものだった。当時(1990年頃)私はNPO法人法が必要だと考え、試案の作成なども行なっていた。復古的な地縁法人制度はけしからんと批判して、とばっちりで、来るべきNPO法人法案が嫌がらせを受けるかもしれないと小心にも心配した。さらに姑息なことも考えた。この手があったのかと。

「地域的な共同活動のための不動産又は不動産に関する権利等を保有するため市町村長の認可を受けたときは、その規約に定める目的の範囲内において、権利を有し、義務を負う」と条文にはある。「権利を有し」という一語を獲得できれば、法人格一発OKだ。その頃の市民活動団体(まだNPOとは呼ばれていなかった)の法人格の必要性も、団体の名前で電話が引けない、事務所が借りられないという程度のものだったので、こんな感じの条文が似合う。気が引けて、そうした提案は公にはなされなかったが、自治省が一枚上、結果としてまんまと騙された。総務省になって「不動産」の要件を自治法改正で外した。万能の法人になった。そこから今回の指定地域共同活動団体までは一歩である。自治省・総務省は30年余をかけて町内会を育てた。この長期戦略には頭が下がる。

今回の「指定地域共同活動団体」にこだわるのは、地方分権は自治体の自治とコミュニティの自治の両輪によって支えられていると考えるからだ。

NPO法が1998年成立、最初の分権一括法が99年だ。単なる偶然ではない。NPO法は日本にまっとうなサードセクター(それも地域で)を建設しようという目的を持っていた。「三セク」とは異なるサードセクターを。一方現実の「三セク」も多くのところで経営危機に陥っていた。市民の側と役所の側の異なった思惑が共に「三セク」改革を促した。今度の法改正は「三セク」問題の解決を、「サードセクター」の自律ではなく、指示命令、恩典、依存、自分の手足、いわば「四セク」によって解決しようとするものである。

コミュニティの改革は1969年「国民生活審議会調査部会報告書」まで遡る。「伝統的地域共同体を組織に組入れて機能させてきた従来の行政と住民との接合方式は既に意義を失い」とまで書かれた。これに自治省は面従腹背で応じた。

もちろん、「コミュニティの自治」派も提案を続けてきた。地縁(血縁)の、いわばゲマインシャフトのコミュニティではなく、意識的に組織された(オーガナイジング)、いわばゲゼルシャフトのコミュニティを対置してきた。戦況はどうだろうか。

だから、今回の自治法の改正は、国の自治体に対する指示権と、自治体のコミュニティに対する指定・指示権の両方が問われている。たまさかの「非平時」の指示権より、平時で常時の指示権の方が問題は深刻ではなかろうか。あえて一言。

(すがわら としお 元公益財団法人地方自治総合研究所研究員)