地方自治総合研究所

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月刊『自治総研』2024年11月コラム

戦後占領改革の基本方針

自治総研創立40周年記念で始まった現代地方自治年表編纂事業もそろそろ最終盤に入り、現在、重要項目の解説原稿を執筆する作業などに研究所の総力をあげて取り組んでいる。その解説原稿の割り当て上、戦後日本の占領改革の根幹に関わる重要項目をいくつか担当し、調べていて気がついたことがある。

占領改革の目的は教科書的には「非軍事化」と「民主化」の2つだとされる。わたしも講義ではその2つの目的をあげ、目的達成のために、一方では日本国憲法や地方自治法の制定などによる「制度」の改革、他方では公職追放や選挙などを通じた制度を担う「人」の改革を行ったと説明している。しかし目的として2つだけをあげるのは不十分かつ不適切で、もう1つ「自由主義化」を明示する必要があるのではないか。そう気がつき、あらためて考えさせられたということである。

史料上の根拠は、ポツダム宣言にもとづいて策定された占領初期の2つの最重要文書、つまり1945年9月22日公表の初期対日方針(SWNCC150/4/A)と、それを発展させた同年11月3日決定の初期基本的指令(JCS1380/15=SWNCC52/7)である。どちらの文書にも冒頭の占領目的を掲げた箇所に、非軍事化、民主化と並べ、それと区別して、自由主義化と括れる語句がはっきり書き込まれている。前者から拾うと「個人の自由を希求し、基本的人権を尊重する念を発展させること」(to develop a desire for individual liberties and respect for fundamental human rights)、後者から拾うと「自由主義的な政治を指向する動きを奨励し、支援すること」(the encouragement and support of liberal political tendencies)がそれである。

自由主義化も占領目的の1つと位置づけることに、歴史解釈上、どのような意義があるかである。占領改革は一般的に1950年前後を境目として、非軍事化、民主化を進めた前期と、その動きを戦前まで巻き戻すかのように逆コースを進めた後期に分かれるとされる。その見方に大局的には異論はない。しかしそれでは半面の真理を述べたにとどまるのではないか。自由主義化の目的に照らすと、占領前期と後期にただ断絶するだけでなく、連続する面があることが見えてくるのではないか。

「人」の改革に即して例示し、説明する。GHQは日本政府に対して1945年10月4日に人権指令(SCAPIN93)を発し、日本共産党指導者の徳田球一、志賀義雄ら政治犯439人の釈放などを行わせる。ついで1946年1月4日に超国家主義団体解散指令(SCAPIN548)とあわせて公職追放指令(SCAPIN550)を発し、戦争犯罪人や軍人、超国家主義者らの公職追放を行わせる。これらは民主化というよりも自由主義化、あるいはその2つを束ねて自由民主主義化の実現という点で一貫している。

一方、マッカーサーは吉田茂首相宛ての1950年6月6日付書簡により、徳田、志賀ら共産党中央委員24名全員の公職追放を指令し、いわゆるレッドパージが始まる。レッドパージは一般的に逆コースを象徴する事件の1つとされる。だがGHQ流の自由主義化あるいは自由民主主義化の考え方からすると、当時の共産党中央委員らはその目的を阻害する「好ましからざる」(undesirable)人物であって、既存の方針を大きく変えたつもりはなかったのではないか。判断基準からはみ出る方向が右側であれ左側であれ、好ましからざる人物を追放するという点では以前から一貫していたと考えられないだろうか。

6月6日付書簡がレッドパージの根拠としたのは1946年1月4日のSCAPIN548とSCAPIN550で、それが歴史の皮肉であるように語られることがある。だが、書簡を書いた当のマッカーサーの自由主義=反共主義的な理念からすれば、大きな齟齬はなかったのだろうと推測する。

なお、英数字番号等を示して引いた上記の占領改革関連文書はすべて、国立国会図書館のウェブサイトで容易に確認できる。

こはら たかはる 早稲田大学政治経済学術院教授)