人口700人未満の自治体の存続
村の数の変遷を概括的に述べれば、1888(明治21)年には71,314の町村が存在したが、明治の大合併により1889年には15,820まで減少した。その後、昭和の大合併で、1956(昭和31)年4月には村は2,303まで減少した。さらに、平成の大合併では2010(平成22)年4月には184まで減少し、現在2025年では183団体となっている。すでに村のない県が13ある。
筆者は、数が減り、やがてなくなってしまうかもしれない村を訪ねてみようと思い、2016年に青ヶ島村を訪ねた。青ヶ島村は日本で一番人口の少ない村として知られている。2024年7月にはNHKのBS101で、「英雄たちの選択 知られざる島の歴史旅」でも放送されたが、天明の大噴火(1785年)で全島民が八丈島に避難し、約40年後の1824年にようやく帰還できた。これは還住と言われ、その後の定期船の名前に用いられた。
筆者の村という自治体への関心は続き、183では訪ねるのは困難と判断し、人口規模700人未満(2024年4月1日現在)の自治体25団体を選び出した。島嶼地域が10団体、山間地域が15団体という内訳である。それらの村名/人口を示すと、以下の通りとなる。
①青ヶ島村/166、②渡名喜村/302、③御蔵島村/303、④葛尾村/322、⑤粟島浦村/332、⑥利島村/334、⑦野迫川村/341、⑧大川村/348、⑨平谷村/366、⑩北山村/374、⑩三島村/374、⑫上北山村/405、⑬檜枝岐村/491、⑭丹波山村/503、⑮売木村/504、⑯北大東村/555、⑰黒滝村/565、⑱知夫村/594、⑲小菅村/615、⑳音威子府村/633、㉑粟国村/646、㉒渡嘉敷村/662、㉓王滝村/665、㉔下北山村/693、㉕北相木村/699、である。
さて、本コラムの問題関心は、小さな自治体が存続している理由を探ることである。総務省の資料「未合併要因に関する調査」(回答市町村数は1,252団体)では、(1)「離島や山間地等に位置することにより、隣接する団体の市区町村役場までの時間距離が遠いために、合併が困難である」(58団体、4.6%)、(2)「合併せずに単独で運営していこうと考えた」(386団体、30.8%)、(3)以下は「合併について意見集約ができなかった」、「合併相手が消極的・否定的であった」、「合併協議について合意がなされなかった」などの合併不調を理由とするものとその他であった。
また、長野県の平成合併を調査した研究によれば、「主な経過と特徴」として、(1)自主・独立型自治体、(2)合併協議会に入ったものの住民投票や意向調査結果で自立を選んだタイプ、(3)特殊なケースで多額な債務などで合併協議会から除外されたものや合併を決めたものの相手がいないケース、の3つに分類できるという(和田蔵次「平成合併と小規模自治体」、『自治研報告書集、第31回地方自治研究全国集会、沖縄』、2006)。
上記25団体が単独の道を選んだ要因は、筆者の考察では、4つの要因が大きな意味を持つと考えている。第1に、地理的要因である。合併してもメリットがない島嶼自治体や陸の孤島とも言うべき山間自治体である。上記総務省では、こうした自治体は58団体で比率も低いが、700人未満に関してはほとんどの自治体が当てはまる。ただ、三島村など、島嶼同士の合併はどのようなメリットがあるのか、今後検討してみたい。
第2に、重要な要因として住民の意思があげられる。住民投票は首長や議会のリーダーシップよりも強力であることは、これまでの経験から容易に推測できる。
第3に、自治体の有する資源の魅力である。上記25自治体の中では観光が重要な産業となっている自治体が多い。また、自然資源としては水が関係している。発電や保養林、あるいは雲海という自治体もある。25自治体の中で財政力指数が高い檜枝岐村は尾瀬の玄関口であり、温泉やスキー場などの観光業に尽力している。
最後に、「自治体という仕組み」の存在である。この点がもっとも重要かと考えられる。まずは憲法で保障され、ナショナル・ミニマムとして公共サービス提供の義務と権利が自治体にはある。青ヶ島村には、村立小中学校が1校あるが、生徒数は小学校5人、中学校5人で、教職員は11人である(2023年度)。このほか、村立図書館、老人福祉館、医療・保健・福祉施設などがある。
たとえ自前の財政力が弱くても、国からの地方交付税交付金、国庫支出金、都道府県からの支出金があり、ミニマムとしての公共サービスは維持される。こうした制度が「自治体という仕組み」である。
以上のことから、住民の意思が固まれば、存続は可能であるといえる。「消滅」することはない。