地方自治総合研究所

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月刊『自治総研』2025年10月コラム

教皇選挙(コンクラーベ)
― 決定方法の意味 ―

教皇とは、ローマ教会の最高位であり、かつバチカン市国の元首である。教皇はどのように選ばれるのであろうか。ローマにおけるキリスト教の歴史を概説すれば、キリストの弟子である十二使徒が普及させ、ローマ帝国では迫害を受けたりもしたが、313年にコンスタンティヌス帝が発出したミラノ勅令により公認され、その後も紆余曲折を経て、392年にはローマ帝国の国教とされた。ここから、ローマ教会はローマの支配地域における中心的な宗教組織として発展し、今日では世界中に14億人もの信者がいる。

初期の教皇は、聖職者と一般信徒により選出されていたそうだが、1059年からは教皇選挙権が枢機卿(教皇を補佐する最高位の聖職者)に限られることになった。

教皇選挙「コンクラーベ」の起源は、1268年クレメンス4世死去後の教皇選挙が紛糾して3年近く空位が続いたことに怒った民衆が選挙者たちを会場から出られないように閉じ込めたという故事だという。ラテン語の「鍵がかかった」という意味である。(BBC The great conclave secret: What do would-be popes eat?)

コンクラーベは教皇の死後(辞任後)、15日~20日の間に開かれ、選挙は80歳未満の枢機卿の互選で、定員は120名とされている。会場はミケランジェロの「最後の審判」で有名なシスティーナ礼拝堂である。外部との通信は一切禁止されている。投票は初日午後に1回行われ、この投票で決まらなければ翌日・翌々日に、午前・午後2回ずつ行われる。これでも決まらない場合は、最大1日の祈りの期間をおいてから、同じ手順で7回の投票をし、そこでも決まらなければ、同じく7回の投票が2回行われる。それでも決まらなければ、1日の祈り、考察、対話の期間をおいてから、最後の投票における上位2名による決選投票を行い、投票総数の3分の2以上を得票した人が選出されるという。なお、この2名は決選投票には加わらない(カトリック中央協議会のHP)。今回は、2日目の午後の投票でアメリカ出身のプレボスト枢機卿(レオ14世)に決まった。その後、白い煙が煙突から出た。決まらない場合には黒い煙が出る。

 映画「コンクラーベ」(E.ベルガー監督、2024年)を見た。どこまでが真実か創作かは不明であるが、映画の内容を少し解説すると、主席枢機卿が采配して、選挙が実施される。有力候補の1人だったアフリカ出身の枢機卿が30年前の不祥事によって候補から脱落したり、その陰謀を仕組んだ枢機卿も候補から脱落したり、映画には様々なエピソードが組み込まれている。

さて、決定方法としてのコンクラーベは、一般信者による直接選挙ではなく、日本の政党の総裁や代表選挙のように一部の人々しかかかわらない間接選挙である。前述のように、かつて一般信徒が参加したこともあったが、しかし現在は高位の聖職者である枢機卿のみの互選となるため、間接選挙といってよいだろう。

教皇は後任を指名することはできないが、枢機卿を自由に任免できる。2025年5月のコンクラーベは定員を越える133名が参加した。フランシスコ前教皇が多様性を重視して、アフリカやアジアからの任命者を多くしたという。日本からも2名の枢機卿が2024年12月に選ばれ、今回のコンクラーベに参加している。

その1人、菊地功枢機卿によれば、最近枢機卿になった新しい人が多く、お互いをあまりよく知らないため、出身国やその国情について、互いを知るための会話がたくさんあったという。直接的な言及はなかったが、映画のようなスキャンダルや陰謀はなかったようである。

この決定方法について、大事なことは、枢機卿同士の議論が食事の際やその他の時間で多く行われていることである。映画でも、投票の合間に枢機卿たちが三々五々話し合いをしている場面が何度も取り上げられている。穏健派と強硬派が教会のあり方やイスラム教との関係など、激しく対立するなか、最後に発言した枢機卿が、自分が派遣された紛争国での経験から、戦争の悲惨さや残酷さを説いた。それは感動的な演説であった。決して本命ではなかった人物であるが、結果として選ばれることになった。

ここに、コンクラーベの決定の重要な要素が示されていると感じた。民主主義の要素である議論が行われていることである。議論すなわち熟議の重要性を存分に伝え、それが結果に結びつくことを示している。

むとう ひろみ 法政大学名誉教授)