大震災15年、新たな土地制度が要る
「踏切があります」
カーナビの突然の音声通知に、ぎょっとしてブレーキを踏んだ。あたりは見渡す限りの更地で、踏切どころか線路もない。東日本大震災から1年3カ月後。2012年6月に、岩手県陸前高田市の海岸沿いを走ったときのことだ。
「奇跡の一本松」が話題になった市は高さ約15mの津波により、県内で最多の1,700人以上が犠牲になった。市役所も全壊し、市の中心部にがらんとした空間が広がっていた。ここにどうやって街を再建するのか。とてつもない難事業になるというのが率直な印象だった。
私たちは、まもなく「3.11」から15年後の未来に立つ。復興には約32兆円が費やされた。復興基本法は第2条「基本理念」に「21世紀半ばにおける日本のあるべき姿をめざして」とうたっていた。で、被災地はいま、どうなっているのか。さきごろ同市を訪ねた。
復興のシンボルのような自動車専用道路で、仙台市から約2時間。そこには多くの空き地が広がっていた。再建された市民文化会館や市立図書館、新しい大型商業施設のすぐ近くにも「売地」「貸地」の看板がある。
行政が主導した「まちの復興」と、住民それぞれに奮闘した「ひとの復興」の時間軸の違いによって生じた「復興空き地」の現実である。
同市は被災前の2万5千人規模の街にする目標を掲げ、最大10mかさ上げする大規模工事を土地区画整理事業で実施した。広さは甲子園球場ほぼ80個分の約300ha。ここだけで阪神・淡路大震災の同事業(計20カ所)の総面積を超えた。
2014年には、山の中腹から旧市街地へ土砂を運ぶ全長3kmに及ぶベルトコンベアーが稼働。異次元の復興工事として報じられた。
だが、もともと人口が減り続けていただけに、当初から復興計画の規模の大きさと、10年単位の都市開発に多用されてきた土地区画整理事業という手法で大丈夫なのか、という疑問の声があった。
同事業は経済成長を前提に土地の価値を高める制度であり、権利調整や造成工事に時間がかかる。そのうえ臨機応変な計画縮小は難しい。速さが求められる復興、しかも街が縮む過疎地に向かないのは明らかだった。しかし、大規模な街の再建に向けた法制度は他になかった。
地権者は2,000人を超え、事業は土地の所有者探しから難航した。相続手続きがなされておらず、法定相続人が数百人いた例や、権利確認のために九州までハンコをもらいに行った話もあった。
当然、地元は地権者に代わって自治体が一時的に土地を管理できるようにすべきだと要望した。だが国は当初、「憲法の財産権の保障に抵触する恐れがある」と認めなかった。
大震災の9カ月後に成立した復興特区法について、当時の市長が「求めたのは超法規的な対処策だったのに、実際の法の効力はスーパーの5%引きのクーポン券程度だった」と憤ったのはよく知られた話だ。
長引く工事を横目に、住民は歯が欠けるように離れていった。「土地造成に7年かかると言われた。その間、どこに住めと言うのか」と。区画整理は予定より2年遅れの2020年度までかかった。そして現在、できあがった宅地の約5割は空いている。市の人口は1万7千人を切っている。
「復興空き地」は他の被災地でも見られる。国土交通省によれば、岩手、宮城、福島の3県で1,899haの土地区画整理事業が実施され、1,009haの宅地が造成された。だが2024年末時点で宅地の4分の1が活用されていない。
この間、被災地からは「過疎地の復興には従来の土地区画整理事業と似て非なる制度が必要だ」「同じルールで復興を進めようとすれば同じ問題を繰り返すだけだ」という訴えが強く出ていた。筆者も朝日新聞の社説で2度、3度と過疎地の街の再建に適した新たな土地制度が求められていると書いてきた。
しかし、いまだにそんな制度は編み出されていない。大震災から15年、これほどの無為無策が、なぜ放置され続けるのか。
復興での土地区画整理事業は熊本地震の益城町でも使われ、能登半島地震の輪島市でも予定されている。だが、約30万人もの「直接死」が見込まれる南海トラフ地震では、より多くの過疎地の街、広大な地域が被災するだろう。いったい、どう対応するつもりなのか。
土地の所有権が複雑に絡む街づくりの法制度の設計が難しい事情はわかる。だが、人口が減り続けるこの国で、新たな制度が求められているのは間違いない。