2025年11月気になる地方自治トピックス
最低賃金決定過程における新たな動向
1. 最低賃金はどう決まるのか
最低賃金は、最低賃金法(昭和34年法律第137号)にもとづき、地域ごとに定められる(原則は都道府県別だが、1980年代には京都府を南北に分けて設定していた)。決定にあたっては、①労働者の生計費、②労働者の賃金、③使用者の賃金支払能力、の3要素を総合的に勘案することとされている。最低賃金に関する審議機関として、厚生労働省には中央最低賃金審議会、各都道府県労働局には地方最低賃金審議会が設置されている。いずれの審議会も、公益代表・労働者代表・使用者代表が同数で構成される。
地域別最低賃金は、地方最低賃金審議会の答申を踏まえて、都道府県労働局長が改定を行う。1978年以降は、地域間の水準格差の是正を目的に、中央最低賃金審議会が、毎年厚生労働大臣の諮問に応じて「改定の目安」を作成し、地方審議会へ提示している。ただし、この目安はあくまで参考資料であり、各地方の審議会の審議を拘束するものではない。
整理すると、まず中央最低賃金審議会が大臣の諮問を受けて「目安」を答申する。次に、各地方最低賃金審議会が都道府県労働局長の諮問に応じ、この目安を参考に改定額を審議・答申し、それを受けて労働局長が正式に改定を行う、という流れになる。
このように最低賃金の決定は、地域ごとに、政治から独立した労使と専門家による審議に委ねられている。ただし、最低賃金法第25条第6項は「必要と認める場合に、関係労働者・関係使用者その他の関係者の意見を聴取できる」と規定しており、知事が「関係者」として審議会で意見を述べることがある。また、審議会や労働局長に対して、地方自治体や諸団体が意見書・要請書を提出することもある。
2. 最低賃金決定の「政治アジェンダ化」
(1) 前史~これまでの沿革前述のように、最低賃金の決定は、政治から独立したアリーナによって地域ごとに行われることになってはいるものの、必ずしも政治と無縁だったわけではない。
1978年以降、中央最低賃金審議会は地域を区分して目安額を示すようになった。これは当時、賃金の地域間格差が問題視され、労働組合を中心に全国一律最低賃金制を求める動きが強まるなか、格差是正の手段として中央審議会の役割に期待が寄せられたためである。
もっとも、この目安額制度は必ずしも格差是正の方向に機能してきたわけではない。たとえば2006年には、地域ごとの経済実態の差を理由に、東京や大阪など大都市圏の引き上げ幅を東北・九州・四国など地方圏よりも大きく設定した結果、むしろ地域間格差を拡大させる方向に働いた。
さらに、最低賃金が生活保護の給付水準を下回る「逆転現象」がワーキングプア問題として注目されると、その是正のために2007年に最低賃金法が改正され、最低賃金を生活保護の給付水準以上にすることが定められた(第9条第3項)。ところが、「逆転現象」は主に大都市圏で生じていたため引き上げは大都市圏が優先され、結果的に地域間格差は一層拡大した。従来はほぼ同水準で推移していた東京と大阪の最低賃金も、生活保護の給付水準との乖離が大きかった東京の最低賃金が大幅に引き上げられたことで、大きな開きが生じることになった(図1)。
(2) 近年の格差縮小圧力地方からの人口流出要因として、大都市圏との賃金格差が注目されるようになった。その象徴として取り上げられたのが、最低賃金水準の地域差である。さらに、人手不足が深刻化するなかで、人材流出への危機感から隣接県との賃金格差を意識する動きが強まっている(1)(①)。
こうした問題意識を背景に、労働団体のみならず、国会議員や、知事など一部の地方政治家も、人口減少対策の一環として最低賃金引き上げを主張するようになった(②)。
一昨年からは、各地方最低賃金審議会への知事の介入が目立つようになった。たとえば茨城県では、知事が審議会会長に対し引き上げ額の決定理由を示すよう求める公開質問状を提出した(③)。岩手県では、知事が岩手労働局に直接申し入れを行い(④)、佐賀県でも県が審議会に対して要請書の提出や意見陳述を行っている(⑤)。
(3) 「脱最下位」争いのチキンレースと「徳島ショック」こうした背景から、近年は、最低賃金の水準が低い県を中心に、中央審議会の示した目安額を上回る引き上げが進みつつある。全国最下位を避けようと、各県の審議会が互いの動向をにらみながら改定額を模索する動きが広がり、審議の終結は遅れる傾向にある。かつては8月中旬までに全都道府県の改定額が出揃うのが通例であったが、2024年は、最後に徳島県の地方審議会が改定額を決定したのは8月29日のことだった。
その徳島県では、中央審議会が示した目安額50円に34円を上乗せし、84円の大幅な引き上げを決定した。この過程には後藤田正純知事の強い意向が色濃く反映されたとされ、知事自身も「行政が決定過程に関与したことを日本の新しいモデルとして、国に受け止めてもらいたい」とコメントしている。この一件は「徳島ショック」と呼ばれ、全国の関係者に衝撃を与えた(2)(⑥)。
図1 最低賃金の推移(全国偏差値):2002年以降・一部都府県のみ表示
3. 2025年の最低賃金をめぐる動き
(1) 決定プロセスにおける政治家の介入はいっそう顕著に1)政府・国政政治家
政府は、2025年度の骨太の方針(6月13日閣議決定)において最低賃金の地域間格差の是正を明記し、中央審議会が示した目安を上回る最低賃金を設定した都道府県に対しては、交付金・補助金を支給する方針を盛り込んだ(⑦)。
赤沢亮正経済再生担当大臣は、中央審議会の目安決定に介入を図ったと報じられているが(⑧)、各地方審議会にも知事を通じて介入を図った。8月5日の記者会見にて、各地方審議会が中央審議会の示した目安に上乗せするよう働きかけを行う考えを表明(⑨)。実際に、一部の知事に対して電話で大幅引き上げに向けて呼びかけを行うほか、福岡県・愛知県の各知事には直接面会して要請を行った(⑩⑪⑫)。もっとも、前述の通り、知事には最低賃金を決定する権限はない。赤沢大臣の働きかけは、各都道府県が国の交付金を活用した中小事業者支援策の実施を通じて引き上げ可能な環境を整えるよう促すとともに、知事を媒介に各地方審議会に影響を及ぼすことを意図したものとみられる。
2)地方政治家(知事)朝日新聞が実施した全国知事アンケート(⑬)によれば、最低賃金の現行水準を「低い」と評価したのは青森・岩手・秋田・茨城・群馬・埼玉・福井・佐賀・沖縄の9人で、東北や北関東で目立った(表1を参照)。
「知事が関与できる仕組みを検討すべきだ」との選択肢を選んだのは群馬・徳島・佐賀の3知事だったが、「公労使の議論を尊重すべきだ」あるいは「その他」としつつ、「議論に地域の実態が反映されない場合には、十分な議論を行うよう県として働きかけを行うことも想定される」(岩手県)、「知事の意見も一定程度反映されることが望ましい」(山形県)、「審議会の議論を尊重すべきだが、知事関与の仕組みも検討の余地がある」(山梨県)など、知事が影響力を行使し得る余地を認めるコメントを寄せた県もあった。
実際に、福井・群馬・茨城・山梨・徳島の各県では、知事が地方審議会に対して最低賃金の積極的な引き上げを要請した(⑭)。また、赤沢大臣の要請を受けた大村秀章・愛知県知事は、翌日に臨時記者会見を開き、審議会に対し目安を超える引き上げを求めた(⑮)。さらに、前年の改定で最低賃金が全国最下位となっていた秋田県では、審議会がなお結論を出していない段階で、鈴木健太知事が中小事業者向け支援策を9月議会に提出する方針を表明したが、これは審議の判断に何らかの形で影響を与えることを意識した対応とみられる(3)(⑯)。
(2) 審議結果(表1)1)遅れる決定
中央最低賃金審議会の目安額決定は、通常であれば7月中に行われるが、今年は8月4日と大幅に遅れた。このため、目安額を踏まえて実質的な審議に入る地方審議会の日程も昨年にまして後ろ倒しとなり、8月末時点において7県で決定に至っていなかった。また、審議が難航して例年よりも審議回数を重ねた県も少なくなく、最終的に全国の審議会の結論が出揃ったのは9月4日であった。
2)目安を上回る決着相次ぐ最低賃金の水準が低い県を中心に、目安額を上回る引き上げが相次いだ。とりわけ、前年に全国最下位だった秋田は、目安額(64円)を16円上回る引き上げ。隣接する青森県・岩手県も目安額に10円以上の上乗せで続き、東北地方全体として底上げ傾向が見られる。相対的に、西日本の最低賃金低位県(高知・宮崎・沖縄(4))と差が生じる結果となった。
3)発効日が取引材料に加わる注目されるのは、改定額の発効日を例年の10月より遅らせるケースが相次いだ点である。群馬県・秋田県では来年3月の発効となっている。従来のように改定額(引き上げ額)だけではなく、発効日も取引材料になった(⑰)。
発効日が都道府県ごとに大きく異なった背景として、中央最低賃金審議会が地方審議会に対し発効日について十分に議論するよう要請した結果、地方側に発効日を自由に設定できる裁量を明示的に与えた形になった、との見方がある(⑱)。また、発効日を遅らせる県が相次いだ背景には、年内に賃金を大幅に引き上げると、いわゆる「年収の壁」を意識した就業調整が懸念されること、また、補助金など行政からの支援策を待つ時間を確保するといった狙いがあったとされる(⑲)。安部由起子教授(北海道大)は、使用者が賃上げを受け入れられやすいように発効日で配慮したのだろうと指摘する(⑳)。
発効日が遅れれば、賃金引き上げの実質的な効果はその分減殺される。安部教授によれば、2025年10月からの年間収入でみると、半年遅れで80円を引き上げることとした秋田県の場合は、実質的には40円相当の引き上げにとどまる。同様に計算すると、25府県が、実質的に中央最低賃金審議会の示した目安額を1円以上下回るという(⑱)。
表1 地域別最低賃金改定状況(2025年)
東北各県において大幅引き上げが相次いだことについて、前述の朝日新聞アンケートにおいて最低賃金の現行水準を「低い」と評価する回答が東北で目立ったことは、直接的な因果関係は定かではないものの、背景要因の1つとして指摘される。実際、前年に全国最下位であった秋田県では、「全国ビリ」からの脱却を目指す県の強い働きかけがあり、審議会はその圧力のもとで議論を進め、最終的に目安額を16円上回る引き上げに至ったと報じられている(㉑㉒)。
一方で、赤沢大臣が知事と面会した福岡県では、目安額への上乗せ額は2円にとどまった。福岡地方最低賃金審議会の丸谷浩介会長(九州大)は、審議会の席であえて赤沢大臣の来訪に言及し、「客観的データに基づく、真摯な労使双方の協議でぶれないことを再度確認したい」と述べ、影響は受けない立場を強調したと報じられている(㉓)。同じく赤沢大臣が訪問した愛知県でも、知事が大臣に同調して審議会に対し目安を超える引き上げを求めたが、上乗せは行われなかった。
このように、政治家からの介入が最低賃金の決定にどの程度影響を及ぼしたのかは一概に判断できない。しかし、前年の「徳島ショック」や前述の秋田県における事例が示すように、最低賃金が低位にある県においては、知事の働きかけが一定の影響力を持ちうると指摘される。
5)茨城県における新たな枠組みの模索最低賃金の決定方法をめぐっては、新たな枠組みを模索する動きもみられる。今年6月、茨城県では県、労働団体、経済団体の三者が合意し、今後5~7年をかけて中央審議会の目安額に毎年5~7円を上乗せする共通目標を設定した(㉔㉕㉖)。このように、(都道府県単位の)頂上団体の合意に基づいて長期的な賃上げの枠組みを構築する試みは、いわゆるコーポラティズム型の取り組みの一種として注目される。
実際、茨城地方最低賃金審議会は今年度、目安額を6円上回る引き上げを決定した。裁決に際して使用者代表5人全員が反対しており、三者合意がどの程度実効性を持ったかは定かでないが、茨城地方最低賃金審議会の清山玲会長(茨城大)は、「三者合意の枠組みをつくってもらったことで、中期的目標に向かい審議していく姿勢を共有できた」と評価している(㉗)。
4. おわりに
以上のように、これまで政治から独立したアリーナにおいて地域ごとに決定されてきた最低賃金だが、従来の枠組みにもとづいた漸進的な対応では地域間格差の是正をはじめとした抜本的な課題の解決にはつながらないと認識した国政・地方政治家による介入が増加する傾向にある。
本稿は、近年の最低賃金決定過程の変化を紹介したものであり、決定過程のあり方については論じていない。この点について山田久教授(法政大)は、朝日新聞の取材に対して、政治的な関与自体は必要かもしれないが、強引にすぎれば審議会が形骸化しかねないと警告し、会議の公開や審議期間の確保を通じて、議論の深化と審議会の説明力向上が必要であるとする(㉓)。また、同教授による別の論文では、海外制度との比較を踏まえ、我が国においても、エビデンスに基づいた徹底した関係者間の対話の実施、中小企業の対応力を高めるための地域単位での生産性向上や労働移動の円滑化、そしてそれを支える政府・自治体の積極的な関与の必要性を強調している(㉘)。すなわち、政府や地方自治体に対して、決定過程への介入に偏重するのではなく、産業雇用政策と賃金政策を統合的に捉え、長期的視点に立った取り組みを促している。
また本稿では、最低賃金水準のあり方や引き上げの影響についても検討していない。この点、最低賃金の引き上げは、地域の産業構造や雇用状況にとどまらず、生活サービス全般に波及する可能性がある。たとえば、結城康博教授(淑徳大)は、原則3年ごとに改定される介護報酬に収入が左右される介護業界では、毎年の大幅な最低賃金上昇に対応できず、人材流出を招きかねないと警告している(㉙)。同様に、最低賃金の引き上げによる賃金水準の底上げは、隔年改定の診療報酬に依存する医療機関の経営にも影響を及ぼす可能性がある。こうして、最低賃金の相次ぐ大幅引き上げは、地域の医療福祉体制を揺るがすおそれもある。
このように、賃金水準の底上げは喫緊の課題であるものの、目先の課題解消に偏したその場しのぎの断片的な対応に終始するのではなく、地域社会全体を見据えて統合的かつ長期的な戦略のもとで臨む姿勢が求められる。